竹駒神社

岩沼市稲荷町1-1(平成19年7月25日)

 この神社はJR東北本線・岩沼駅の南約650mに鎮座しています。京都の伏見稲荷、茨城の笠間稲荷と並ぶ日本三稲荷の一つとして知られた大規模な神社で、宮城県内では塩釜神社に継ぐ初詣客の多い神社だそうです。朱塗りの一の鳥居をくぐり、社殿に向かって参道を進むと、平成2年に岩沼市の指定文化財となった随身門(桜門)が見えてきます。文化9年(1812)に建立されたこの門は彫刻類や意匠に優れ江戸後期の秀作といわれます。更に進むと、随身門と同じ平成2年に岩沼市の指定文化財となった、向唐門としては宮城県最大級の遺構とされる唐門に至るのですが、現在は改修中で工事用の足場が組まれ、紗の幕が張られ見学は出来ませんでした。工事用の足場の中を潜ると、正面に大きく立派な社殿が見え多くの参拝者が祈念していました。余り訪れる人もいないその奥には、奥宮や寶窟山鎮護・命婦社、丁度社殿の裏側地下に当たる地に祀られた元宮が、ひっそりと静かな佇まいを見せていました。その左には更に愛宕神社、八幡神社とあと一社の境内社が祀られているのですが、向唐門の工事用車輌が通るためか通行禁止になっていて、傍まで行くことは出来ませんでした。

 御祭神:倉稲魂命・稚産霊命・保食命
 例祭日:新旧の1月1日・元朝参り、旧暦2月初午の日から7日間・初午大祭、 3月21日・大祭、9月下旬・秋祭
 由緒:社伝では、承和9年(842)小倉百人一首で有名な参議小野篁卿が陸奥守として赴任した際、奥州国府の鎮護を祈願して伏見稲荷を勧請して創建したと伝えられています。後冷泉天皇の時代(1045 〜1068)に陸奥国を歴遊中の能因が、竹駒神社の神が竹馬に乗った童の姿で示現したとして、この社に隣接して庵を結び、これが後に別当寺の竹駒寺となりました。尚、竹駒(武隈)という社名は、阿武隈川に由来するものだそうです。
 古くは平泉藤原三代の崇敬を受けていましたが、戦国時代には衰微し、伊達稙宗公が社地を寄進するなど、伊達家歴代の手厚い庇護を受け、文化4年(1807)には正一位の神階を受けました。
 明治の神仏分離により、明治2年(1869)、竹駒寺は少し離れた現在地に移転し、明治7年、竹駒神社は県社に列格しました。
 かつての社殿は、仙台藩の5代藩主・伊達吉村公によって造営されたものでしたが、平成2年(1990)に火災で焼失し、平成6年(1994)に再建されました。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)

神社入口・一の大鳥居 参道の二の鳥居
参道のお狐様
(大正5年(1916)4月建立)
市指定文化財・二層の随神門
文化9年(1812)に建立されたこの門は、彫刻類等に優れ江戸後期の秀作といわれます。神号額は仙台藩七代藩主・伊達重村公の筆によるもので、神号額の下に掲げられた「丹心報国」の大額は明治の代表的書家中林梧竹の筆によるものです。
随神門の木鼻・狛犬
随神門裏側に居られる優雅な白狐様
参道途中の大鳥居
お狐様の入られた灯籠上部を台座の上の4人の力士が支えています。この形の灯籠は始めて見ましたが、名取市植松・館腰神社にも奉納されていました。
大きく立派な社殿
奥宮
奥宮のお狐様
寶窟山鎮護・命婦社
命婦社に奉納された、狛犬が直立して支える灯籠
立ち上がった狛犬を見たのは初めてです。
命婦社のお狐様
本宮
境内社・愛宕神社
境内社・?宮と八幡神社