鹿島神社

岩沼市下野郷(平成19年7月25日)

 この神社は仙台東部道路・仙台空港ICの南東約1.6km、仙台空港岩沼臨空工業団地の西外れに鎮座しています。
鹿島神社の由来
 本神社は寛永年間(1635)頃に建立され、同年の勧請と伝えられています。天正年間(1580)頃、仙台藩主・伊達政宗公家臣・奥山與市左衛門が藩士を従えこの地に移り、奥山の氏神として鹿島大明神を祀り、別当に山伏の玉山満蔵を布置祭事に務めました。しかしこの地は低地で、7年間に及ぶ連続水害で生計が立たず、元禄13年栗原郡藤沢へ移住しました。
 この地に残留した玉山満蔵は、元禄16年に奥山の住居跡に伊達家直参足軽村の設立となり、神仏を鎮守の神として祀り、満蔵は神職として永く崇敬しました。
 明治5年村社に指定され、同13年下総の国鹿島神宮より御分霊を受け、翌14年新社殿を建立しました。(境内「鹿島神社の由来」より抜粋)
 「なとりの歴史物語」に、「藩政時代には矢ノ目地区には「矢ノ目足軽衆」が住んでおり、「館内」、「館外」と分かれ、通称が「矢ノ目」と呼ばれていました。足軽衆は出羽米沢の「矢ノ目」から伊達家とともに移住。足軽として江戸への参勤交代、阿武隈川から名取川の沿岸警備をしていたのです。「異国船」が来ると、矢ノ目から岩沼、仙台城まで早馬が駆けました。沿岸警備で足軽衆が「飯場・休憩所」にしていたのが「長谷釜」で北の釜場を「北釜・きたかま(ナトリ)」といい、倉が建てられた地域を「二の倉」といいました。矢ノ目足軽は、戊辰戦争で白河、二本松までいって戦死された方もいらしたとか…。」と紹介されています。

社号標 神社入口
拝殿 拝殿に架かる神名
「薬師大神」「鹿嶋大神」
本殿 末社四社