鹿島御児神社

石巻市日和が丘2−1−10 (平成19年7月24日)

 この神社は石巻駅の南1.2km、旧北上川の河口近くにある標高60.4mの日和山山頂に鎮座しています。日和山はもと石巻城が築城されていた小丘で、境内は城の本丸跡だったといわれています。石巻城は文治年間(1185〜90)、源頼朝の奥州合戦の折りに軍功をあげた葛西清重が、35万石を拝領しこの地に城を築城したものです。のち葛西氏は、奥州探題として君臨しましたが、天正18年(1590)、伊達政宗が豊臣秀吉に降伏すると、秀吉の命令によって廃城となりました。境内までは車道が通じていて、表参道からの入口に建つ鳥居傍からは市街地と石巻港、牡鹿半島が綺麗に見える、景勝の地となっています。社務所と車祓所の間を抜け、境内入口の鳥居を潜ると綺麗に清掃された広い境内で、正面に朱の拝殿、入母屋造の本殿が建っています。又、境内左側には愛宕神社、稲荷・八幡の合祀社殿、天満宮等が祀られていました。

 御祭神:武甕槌命 鹿嶋天足別命
 例祭日:1月7日・どんと祭、5月15日・例大祭、6月24日・愛宕神社例祭日
 境内社:愛宕神社、稲荷神社、八幡神社、天満宮
 由緒:式内社・鹿嶋御兒神社に比定されている古社で、平安時代に北進をつづける大和朝廷軍の最後の集結地である北上川の河口にあり、延喜式における鹿島神社の最北端の社です。
 伝承では、往古、東夷の征伐と辺土開拓の為、鹿島・香取の両神宮祖神の御子神が共に命を受けて海路奥州へ向かわれ、二柱の乗られた船は石巻の沿岸に到着・停泊して錨を操作した際、石を巻上げたことから、石巻という地名となったといわれているそうです。そして開拓に偉大な功績を残された地方開発の祖神として、鹿島神宮の御祭神・武甕槌命の御子神・鹿嶋天足別命はこの社に、香取神宮の御祭神・経津主神の御子神・阿佐比古命は石巻市折浜の香取伊豆乃御子神社にお祀りされたと伝えられています。(香取伊豆乃御子神社総代さんのお話より)
 宝亀11年(780年)12月、陸奥鎮守副将軍の百済王俊哲の奏上が鎮座の起源と伝えられ、代々の使臣、藩主等の尊崇が厚く、社領を寄進し、幣物を贈り、また社殿を修築し、宝物の寄進等がありました。明治7年旧村社に列し、大正10年には旧郷社に、昭和10年には旧県社に列格しています。

表参道からの石段 表参道からの神社入口と鳥居
神社入口から見える市街地と石巻港、牡鹿半島
境内入口 社殿側から見た境内の様子
社殿前にいる年代不明の出雲丹後狛犬
拝殿
拝殿内の様子

本殿の屋根 境内社・天満宮
境内社・愛宕神社
愛宕神社前にいる年代不明のはじめタイプ狛犬
年代不明とはいっても奉納者名が屋号と名のみなので江戸時代のものと思われます。阿吽共に角付きで、とてもスマートに縦長に蹲踞していますが、お腹の下が刳り抜いていないはじめタイプです。目には瞳が線書きで彫られ、低めの鼻は小鼻が発達しています。一寸悪戯そうな憎めない可愛い顔つきですが、吽の前方・下部分が欠けているのが残念です。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社・稲荷・八幡の合祀社殿 境内社・稲荷社
稲荷・八幡の合祀社殿前にいたお狐様
境内社・天満宮