栄存神社

石巻市湊牧山(平成19年7月24日)

 この神社はJR石巻線・石巻駅の東3.3kmの、太平洋と牡鹿半島を一望できる牧山市民の森最奥、牧山の山頂から少し降ったところに鎮座しています。入口の鳥居の額には「栄存神社」とありますが、脇の碑には「栄存法印奥津城」とあります。「奥津城」とはお墓の事ですから、夫は「ここは神社じゃあ無くて、墓地なんじゃないの?」といっていましたが、私は「だって鳥居に栄存神社って書いてあるもの。」と強引に神社ということにしてしまいました。帰ってから調べると、江戸時代初期の高僧・栄存法印が冤罪により憤死し、その後数々の怪異が起こった為、その霊を祀ったのが、この社ということで、菅原道真公の天神社と同様、怨霊鎮めの社だったようです。

 御祭神:片桐且元の孫・栄存
 例祭日:旧2月6日
 由緒:伊達家の家臣・笹町但馬の願いにより、荒廃していた 牧山の霊場の再興を果たした栄存法印は、高僧として衆人の帰依が篤かったのですが、但馬の後を継いだ笹町家当主・新左衛門頼重は、嫉妬の余り無実の罪で栄存法印を江島に流罪にしてしまいました。栄存法印は、身の潔白が証明されることを願って、日々祈祷を続けましたが、3年後の天和元年(1681)「口に鰹節を挟み、湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ。」という遺言を残して亡くなります。島民がこれを守らなかったところ 凶事が続いたので、改めて遺言通りに埋葬し供養を行ったところ、不思議なことに凶事がおこらなくなったといいます。享保15年(1730)法印の赦免を請い、霊を牧山に移して長禅寺に栄存神社として祀ったのがこの社です。現在は零羊崎神社の境内社となっています。

神社入口
鳥居の額には「栄存神社」
碑には「栄存法印奥津城」とあります。
「堅者法印離負大和」碑と梵字の碑
社殿
市指定文化財・宝筐印塔
 文化11年(1814)千石船の船主・伏見屋吉蔵によって建立されたものです。
(石工・井内 円治、運蔵)
  
優しげな仏像 板碑群