浅井家を振り出しに主家を7度も変えた男。秀吉の生前から家康に接近し、関が原前後には、他の豊臣恩顧大名の動静を探り家康に密通したり、朽木、赤座、小川などの小大名の寝返り工作をするなど「忠勤」に励み、東軍戦勝の裏方を務めた男。先を見る眼があったのでしょう。また伝統は幕末にも十分生かされました。鳥羽伏見の戦いで、壊走する幕府軍に向かって大砲をぶっ放したそうです。そんな逸話しか知らない関東人は藤堂高虎を小賢しい男位にしか思っていません。しかしこちらへ来て見ると、高虎公は慕われている様です。藤堂高虎と言う人は内政面でも優れた政治家だったのですね。