竹原神社

津市美杉町竹原2692 (平成26年5月10日)

東経136度18分21.64秒、北緯34度35分25.51秒に鎮座。

この神社は、JR名松線・伊勢竹原駅の南西1km程の辺り、美杉町竹原の街外れの山沿いに鎮座しております。

御祭神菊理比当ス
合祀神大日孁貴命・誉田別命・天児屋根命・大国主命・須佐之男命・火産霊命・久久廼智神・大山祇命・埴安姫命・大物主命・天忍穂耳命・菅原道真・大鷦鷯命・藤原千方・応神天皇・迦具土命

竹原神社御由緒
当社はもと白山比盗_社と申し上加賀国一宮白山比盗_社の御分霊で、第三代孝徳天皇の御代のご鎮座と伝えられている。
往古、家城村の鎮徳上人という僧が加賀の白山比盗_社に参り、御分霊を拝載して帰国の途中家城村瀬戸ヶ淵の傍の岩に笈を掛けて休憩していると笈中の御分霊が七羽の白鳥に姿をかえて飛び去り、その留まる所七ヶ所に社を建てて氏神としておまつり申し上げた。
大正時代の記録によると小倭、竹原、飯福田、川口、八対野、山田野、家城の七社を七白山と言い敬い巡拝するもの最と多しと記されている。
徳川南龍院頼宜候の尊崇殊に厚く、竹原750余石の中から社領として年々1石6斗余を神社に寄進されているので、一般の崇敬も著しいものあり、明治41年(1908)に至って村内それぞれの字でおまつりしていた神社を合祀し、竹原神社と申し上げ今日に及んでいる。
中でも八手俣大河内に鎮座の須賀神社は大河内天王と称し、昔伊勢の国司北畠氏の鬼門除けの神として奉斎されていたもので、疫病除けの神として多くの人の崇敬の的であった。1月の三ヶ日と6月14日の祇園祭には多数の参拝者があったと伝えられている。
境内由緒書き より

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿

左右の脇社

末社

石祠

御神木