(あきら)神社

津市芸濃町楠原303 (平成26年5月9日)

東経136度25分00.01秒、北緯34度50分09.95秒に鎮座。

この神社は、東名阪自動車道が伊勢自動車道と名阪国道とに別れる関JCTの南東1km程の辺り、芸濃町楠原の街外れ、伊勢自動車道にもほど近い山沿いに鎮座しております。

主祭神伊邪奈伎命・伊邪那美命
配祀神饒速日命・市杵島比売命・迦具土命・倉稲魂命・木花佐久夜比売命・金山彦命・品陀別命・大山祇命
合祀神大己貴命・建速須佐之男命・五男三女神・菅原道真・国之狭槌命・熊野久須毘命・八衢比古神・恵那津彦命・多伎津比売命・八衢比売命・活津彦根命・久那戸神・天忍穂耳命・天津彦根命・天穂日命・多紀理比売命

由緒
当社は、もと延喜式内志婆加支神社であったとする説があり、異説のあって定かではないが、旧御社地は現在の愛宕山の西方に広がる丘の上にあり、岩坂に出る道が参道であったようである。御手洗という小字名は、参道途中の手水舎の古跡でそのあたりを無里(無郷)をいう由である。現在の「底田」は古く舟底田御薗と言い上古、内宮の御神領で毎年籾六斗を内宮の倉庫へ上納していたことが「神鳳抄」に見えている。天正年中(1573-1591)社頭の荒廃著しく現在地へ奉遷したということである。明治四〇年の頃には林地区を除く旧明村各地に村社、無格社が三八社を数えたが、明治四一年各地区一社計六社に合祀し、同四五年一月四日現在の鎮座地にすべての社を合祀して明神社と単称し今に至ったものである。
三重県神社庁公式サイト より

境内より300m程南の参道入口

参道

鳥居

参道

境内

拝殿

拝殿内部

本殿

本殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

山神

境内脇の溜池