九鬼岩倉神社

鳥羽市岩倉町1107-1 (平成26年5月11日)

東経136度50分50.78秒、北緯34度26分39.61秒に鎮座。

この神社は、近鉄志摩線・加茂駅の西北西500m程の辺り、田城城跡に鎮座しております。

祭神 九鬼弥五郎澄隆・伊邪奈美命・誉田別命・素盞鳴尊

織田信長の水軍大将として勇名を覇せた九鬼嘉隆の祖父・泰隆が天文10年(1541)にこの城に拠り、伊勢国司北畠氏のために尽くし、二見七郷を与えられたと言う。それ以前は、田城左馬之助が築いたとも伝えられる。天正10年(1582)に至り、九鬼嘉隆が兄浄隆の子澄隆を暗殺し、その後この城は廃せられたと云われる。城跡には澄隆の怨霊を鎮めるために九鬼惣領権現が祀られている。
鳥羽市教育委員会

九鬼岩倉神社は田城の杜に鎮座し、権現さんとも呼ばれ氏神として岩倉町民に親しまれている。 毎年4月の第1日曜日に行われる春祭に合わせ、豊作を祈念し神様に喜んでいただくため、総代が水田の荒起しから田植えまでの所作を神前で面白おかしく演じる鍬形祭りが行われる。 また7月の第2土曜日の天王祭には町内会、老人会、子ども会等と協力して夏祭りを行っている。

由緒
九鬼岩倉神社は、明治40年(1907)に加茂神社の地に小学校を建てるのを機に、それまで岩倉の夫々の場所にあった萩原神社、八幡神社をも纏めて九鬼神社に合祀し、加茂八幡九鬼神社と称した。
九鬼神社は天正2年(1574)伯父の九鬼嘉隆に殺されたとされる九鬼澄隆の霊を慰め九鬼家の子孫の繁栄を祈るため、寛永3年(1626)九鬼家が田城の砦跡に建てたものである。元禄16年(1703)正一位を贈られ九鬼総領権現と称した。
加茂神社は古くから岩倉字森地にあって伊邪奈美命を祭神とし、鴨明神、鍬形明神あるいは岩倉明神とも言われて農耕産業の神として崇められてきた。
萩原神社は古くから牛頭天王とも言われていて、素戔鳴尊を祭神とし疫病災厄を防ぐ神として岩倉字倉谷で祭られてきた。
八幡神社は澄隆の曽祖父九鬼泰隆が田城に砦を築いた天文年間に住吉の山城男山八幡宮より勧請し岩倉字中尾に祭られた。江戸時代には流鏑馬の神事も行われていたようである。
明治43年一村一社の指示を受け、九鬼神社を残し加茂神社、萩原神社、八幡神社の祭神を分祀し白木地区、河内地区の神社とともに松尾地区の蕨岡神社に合祀して加茂神社と称した。
戦後の昭和30年(1955)に加茂神社、萩原神社、八幡神社を加茂神社から分祀し、再び九鬼神社と合祀して九鬼岩倉神社と称し現在に至っている。
三重県神社庁公式サイト より

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿