丹生(にゅう)神社

多気郡多気町丹生3999 (平成26年5月10日)

東経136度29分46.30秒、北緯34度28分28.16秒に鎮座。

この神社は、伊勢自動車道と紀勢自動車道と別れる勢和多気JCTの北北西3km程の辺り、丹生の街外れに鎮座しております。多分この町が門前町として作られたはずです。すぐ西側には神宮寺があり、かつては一体であったと思われます。

御祭神 埴山姫命・彌都波能賣神・天照大神・拷幡千々比賣命・武甕槌命・齋主命・天津兒屋根命・姫大神・大己貴命・活津彦根命・熊野櫲樟日命・饒速日命・猿田彦命・大山祗命・市寸島比賣命・月讀命・素盞嗚命・氣吹戸主命・金山比古命・金山比女命・譽田別命・五柱男命・三柱女命・豊受比賣命・建御名方神・大國魂神・蛭子命・底度久神・安部清明・宇賀魂神・菅原道實・火遠理命・秋葉大神・愛宕大神・宇迦之御魂神・不詳一座

由緒
当社の創始は、社伝によると継体天皇16年という。往古より当地は水銀の産地として名高く、この地の守護神として奉斎されていた。また、『本朝年代記』に嵯峨天皇弘仁10年(819)、伊勢丹生神に祈雨祈晴した記載が見られるように、当社は古よりその方面に霊験あらたかとされ、更に『延喜式神名帳』多気郡五二座搭載の1社にも数えられる。室町以降、伊勢国司北畠氏はじめ松阪城主古田重治、歴代紀州藩主から篤い尊崇を得た。明治41年4月14日、当社境内社の高野神社など24社を当社に合祀した。尚、明和年間(1764〜72)以後今日に至るまで、社殿造営には神宮式年遷宮の際に拝領した古殿の用材を利用するのを慣例とする。
三重県神社庁公式サイト より

参道入口と一の鳥居

思いっきり参道入口中央にある「伝丹生津比売、弘法大師対面石」
しかし御祭神の中に丹生津比売様がいらっしゃらないのは何故か?

参道。正面は丹生中神社。

境内入口と二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正6年(1917)11月建立)

本殿


丹生中神社由来
祭神 金山彦命・金山比女命ほか17柱。延喜式の神名帳、飯高郡9座のうちにあげられている。
往古この地の山々より多くの汞(すいぎん)を掘り出し、伊勢の両宮へ貢いだ事は外宮旧事記にも記載されており、この神社には金山槌・金山樋等の神宝がある。
なお、明治41年(1908)2月18日から4月18日にかけて、村内の八幡神社・八柱神社・金比羅神社・塩垣神社等30余社を合祀し、現在に至っている。

社殿

男神