椿大神社

鈴鹿市山本町1871 (平成17年3月26日)

東経136度27分16.9秒、北緯34度57分40.6秒に鎮座。

この神社は、東名阪道・鈴鹿ICの北西4km程の辺り、入道ヶ岳の裾野に鎮座しております。

伊勢の國一の宮椿大神社地祇猿田彦大本宮と称え奉る
主神 猿田彦大神
相殿 瓊々杵尊・栲幡千々姫命
別宮 天之鈿女命
神集社 八百萬神
當社は日本國土の中央部に位置し太古國つ神猿田彦大神高山入道嶽短山椿ヶ嶽をその根柢本陣とせられたる縁起に依り倭姫命の御神託に基づき垂仁天皇二十七年創立せられたる日本最古の御宮で延喜式内社で有り又當國一の宮であります。聖武天皇勅願社國司総拝九条家御祈願所、本多、板倉、石川等藩主の崇敬。警視庁に御分霊奉斎、地まつり方、災解除、屋敷の守護等御神徳その霊験往古より世に現はる。明治の始め不幸調査漏れ、昭和十年に至り神宮内務省宮内省よりそれぞれの係官現地調査の結果國幣列格の内示有り。又地祇猿田彦大神の大本宮たる事確然せらる笑。
境内由緒書より。原文と参拝委の栞はこちら。

昭和七年、警視総監が内務省神社局に、こう尋ねた。「警察の守護神はだれであるか?」。内務省は、警察の守護神は猿田彦大神であると答えた。
警視総監は更に聞く。「猿田彦大神の御分霊を祀りたいが、本宮はどこか?」

神社局は分からなかったので回答できなかった。 それで小栗警視総監が猿田彦大神の本宮を調べてくれるように依頼した。 時の内務省神社局、考証課長宮地直一博士、神宮皇學館の坂本広太郎教授、神宮の御巫禰宜の三人に命じて調べさせたところ、全国十万社のうちの三万五千社ほど猿田彦大神を祀った神社があった。その三万五千社の内、猿田彦大神を主神として祀ってある神社を探したら、二千社あった。 更にこの中から本宮を探したら、伊勢の椿大神社であるという結果が出たのである。
『椿大神社二千年史』著山本行隆より。

上記の山本行隆氏はこの神社の宮司で、御祭神猿田彦大神の子孫を称しています。

古代から続く神社の永い歴史の中で、度々の兵乱に巻き込まれ、古文書の焼失などにより鎮座地や創建時期が不明となる事は充分考えられるが、果たして本宮かどうかを調べなければ判らないものなのだろうか。上の記述は椿大神社メールマガジンに記載されているが、現今では、猿田彦大神を祀る各地の神社で椿大神社とつながりのある神社は少数しか存在しないこと、猿田彦大神の故郷が伊勢国の五十鈴川川上である等から、伊勢市宇治浦田・猿田彦神社が猿田彦神を祀る神社の総本社と考える説も有力となってきている。
何れにしろ、名高い御祭神の割には謎多き神である。

社号標。境内迄は後3km程はあろうかと云う辺り、信号待ちをしていたら、目に留まりました。延喜式内・一宮・椿大神社と書かれています。

参道入り口

参道

巻き毛がうねうねと結構奇怪な容貌の狛犬一対。拡大写真はこちら。

(明治38年(1905)10月建立)

かなり大きめの威張り狛犬が一対。台座を含めて3メートルちょいはあります。

拝殿

本殿

別宮・椿岸神社

猿田彦大神の妻神・天之鈿女命が主祭神として祀られており、全国の天之鈿女命の総本宮でもあります。 ご事績により芸道の祖神として信仰され、また鎮魂の神、夫婦円満の神、縁結びの神として崇敬されています。

延喜式内社・椿岸神社は四日市市智積町684に鎮座する神社ですが、伝承によると、「椿岸神社」と「椿大神社」の獅子頭は、同木で作られた姉妹獅子で、根元に近い部分で作られた「椿岸神社の獅子頭」の方が、姉獅子であると言い伝えられているそうです。その縁でここにも、御分霊が祀られているのでしょうか。

椿岸神社を護る浪速狛犬。普通は商売繁盛、 家内安全、無病息災といった事を祈願すると思いますが、この台座には祈武運長久とあります。そういう時代だったようです。

猿田彦大神の神像

入り口左手に椿会館なるものがあり、帰りがけ、そこで昼飯を食べました。女房は名物の鶏めしを食べ、私はこんにゃくラーメンなる物を食べた。結構いけると思います。

帰宅後ほど無く葉書が届きました。神社からDMを戴くのは初めてです。

昨今、神社を存続させるには、こういった努力も必要かも知れません。専属の神職のおられる神社には、参考になるかも知れません。