御厨神社

松阪市本町2304 (平成26年5月10日)

東経136度32分02.12秒、北緯34度34分39.70秒に鎮座。

この神社は、松坂駅の北西800m程の辺り、松阪市内の住宅街に鎮座しております。

御祭神建速須佐之男命・加夫呂岐命・火産霊命・木花之開耶姫命・大山祇命・奥津彦命・奥津姫命・応神天皇・宇迦之御魂命・市岐島姫命

由緒
当社の創始については詳らかなことはわからないが、その前身は飯高郡下ツ牧(現、平生)の平生御厨である。往古、平生は参宮の駅路にあたり勅使参向の時には当社に止館し、交通の安全を祈願したと伝える。それに由来してか、現在でも当社を見送神社と俗称している。中世には伊勢国司北畠氏の信仰篤く、度々供物が献納された。戦国時代に入ると戦火により社殿は退廃し、僅かに神垣が昔の名残りを留めるに過ぎなかった。天正12年(1584) 蒲生氏郷が四五百(よいほの)森に松坂城を構築する際、当社の尊厳を考え城郭の大手先に奉遷したが、元和6年(1620)紀州藩主徳川頼宣の家臣、長野九左衛門が城の鬼門の鎮守として現在地に移した。嘉永3年(1850年)紀州侯が「境内殺生禁断」の石標を献納し、毎年正月には城門において獅子舞を奉納するを例とした。明治2年(1869)2月明治天皇神宮御参拝の折、当地に御駐車されている。明治41年(1908)に八幡神社、奥津彦神社、市岐島姫神社を合祀した。因みに、国学の泰斗、本居宣長も当社を常に尊崇し、多数の図書を献じている。
三重県神社庁公式サイト より

神社入口

神門

境内

拝殿

本殿

本殿玉垣内の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

三圍稲荷神社

お狐様

高春稲荷

末社