波氐(はて)神社

松阪市星合町507 (平成26年5月10日)

この神社は、紀勢本線・六軒駅の北東3km程の辺り、津松坂港にもほど近い街中に鎮座しております。

御祭神 多奈波太姫

七夕伝説星合の浜
文政2年(1815)群馬県黒熊「三木貞樹家文書」の道中日記の中に星合村と申処七夕の社有り、拝礼いたし、それより六軒に出て、此の道廿(20)丁ばかりと承り候処、殊の外遠し、と記されています。
又、伊勢紀行(永享5年(1433))等の古文書によると、かなり昔から七夕が祭られていたことがわかります。
波氐神社(星合神社)には多奈波太姫が祭られています。その近くには、織姫と彦星が年に一回出合うという天の川があり、そこに架けられた橋は、実は鵲という鳥であると、この地方に七夕伝説として伝わっております。
「鵲橋・南へ200M」の袂に、明治36年(1903)に、建立されたといわれる「鵲橋之碑」が建っております。
この碑文の中に「鵲の渡せる橋におく霜の、白きを見れば夜ぞ更けにける」と、奈良時代の歌人で三十六歌仙の一人とも言われた大伴家持の歌が刻まれており、この地方に七夕伝説として伝わっております。
境内由緒書き より

御祭神 火雷神
合祀神 安閑天皇・大屋津姫命・建速素盞嗚尊・八柱皇大神・火産霊命・宇迦之御魂命・言代主命・伊弉冊尊・磐長姫命・迦具土神・応神天皇・勝手大神・子守神・地主大神・菅原道真・大日孁命・白山比当ス・大海津見神・大国主命・市杵島姫命・大山祇神

由緒
当社の創立は詳らかではないが申し伝えによれば延暦20年6月伝教大師によって社殿を改造され桓武天皇の御代には既に祀られていたそうである。それから100年後に出来た延喜式神名悵に登載されている。古来八頭山(やずさん)を中心として奉願されていた。殊に伊勢国司の北畠氏は尊信の念深く、神領等の寄進をしてその経営を補助し奉っていた。八頭山の神を奉祀する神社は古来波瀬村に三社あり、村の中央の字宮山(現在の地)に小八頭神社を本宮と称し、それより6kmを距てた八頭山麓字須氐に祀れる八頭神社を中宮とし、更に山頂に奥宮高岳神社あり、此の3社を八頭山蔵王権現と称していた。明治6年神佛混淆改正により八頭神社は波・神社と確定改称せられ神職奉仕することになり同時に神宮寺は廃止された。(明治になるまでは八頭山天徳院神宮寺別当にて諸祭式等執行されていた。)明治42年に至り当局の神社合祀に基づき中宮及び奥宮等村内32社を小八頭神社に、明治43年社殿その他を新築し合祀して波氐神社と呼ぶようになった。本殿は昭和30年屋根を葺き替えたが拝殿、幣殿等は長の年月を経て風雨にさらされ老朽化したので昭和62年11月改築し現在に至っている。昭和15年紀元2600年記念として由緒深い神社昇格の実現すべく努めた結果昭和20年県社に列せられた。しかしながら終戦によりポツダム政令をもって行政管理化よりはずされた。
三重県神社庁公式サイト より

社頭

神社入口

境内

拝殿

一段高い所にある本殿

神門と玉垣

本殿