阿射加(あざか)神社

松阪市大阿坂町670 (平成26年5月10日)

東経136度28分15.96秒、北緯34度35分41.78秒に鎮座。

この神社は、伊勢自動車道・松坂ICの北3km程の辺り、伊勢自動車道にほど近い街外れに鎮座しております。

御祭神 猿田毘古大神

由緒
第11代垂仁天皇18年(640)夏4月、皇女倭姫命が天照大神の神霊を祀る地を探し求める途中阿佐賀の地を訪れ荒ぶる神伊豆速布留大神を大若子命をもちて鎮めさせ阿佐賀山の嶺桝形地に社殿を造り種々の幣物をもたらし祭ったのがこの神社と言われる(神道書、倭姫世紀) 阿射加神社は平安時代から、社格の上からも朝廷から破格の崇敬を受け、承和2年(835)従五位下、嘉祥3年(850)従五位上、斎衡2年(855)従四位下、貞観元年(858)従四位上、貞観8年(866)従三位を伊勢国阿耶賀神に授け奉ると昇叙の記が見られ第60代醍醐天皇延長5年(927)延喜式内大社の格に編入され延喜式神名帳に伊勢国阿射加神社三座並名神大なり285座の内となる猿田毘古神座阿耶詞と古事記にも見られる古社である。 伊勢国司北畠満雅應永年中(1394〜1427)阿坂山に砦を築く時に社地を山より今の地に遷したと記されいる。 享保甲辰(9年-1724)紀州家より禁殺生の石碑建贈される。 安政丙辰(3年-1856)11月国主紀伊御代により武運長久領内安全の奉納が寺社奉行によって奉られている。 明治6年(1873)3月村社に列せられ同39年(1906)12月三重県告示第380号をもって神饌幣帛料供進指定社となる。恒例祭世多米志祭が1月に行われ稲作の作柄を占う粥試が行われる。神社の右側には龍天大明神の起源と言われる宮池をもつ由緒ある神社である。
境内由緒書き より

神社遠景

一の鳥居

参道

二の鳥居

三の鳥居

割拝殿

境内

四の鳥居

玉垣

本殿


大若子神社

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境内脇の溜池