忍山(おしやま)神社

亀山市野村4-4-65 (平成26年5月9日)

東経136度26分23.48秒、北緯34度51分06.37秒に鎮座。

この神社は、JR関西本線・亀山駅の西北西1.5km程の辺り、野村の街中に鎮座しております。神社の北すぐに野村一里塚があります。かつては東海道の要衝として栄えたようです。

三重県亀山市野村町にある一里塚。亀山城の西方、市内野村町の西はずれに位置し、1604年(慶長9)に徳川家康が2代将軍徳川秀忠に五街道の1里(約4km)ごとに築くよう命じ、亀山城主の関一政(せきかずまさ)が築造した東海道一里塚の一つ。県内12ヵ所の一里塚のなかで唯一、昔ながらの原形を保ち、江戸日本橋から106里12町、京三条大橋から17里32町の距離にある。そもそもは道の両側に塚があり、1711年(正徳1)の『東海道分間絵図』によると南側の塚は榎3本と記されている。現在は北側だけが残り、樹齢400年のムクの巨木が植えられている。わが国の交通史を考えるうえで貴重な遺跡として、1934年(昭和9)に国の史跡に指定された。
コトバンク より

御祭神 猿田彦命・天照皇大神
配祀神 天児屋根命・天布刃玉命・倭姫命・天照大御神荒御魂・大比古命・大若子命・乙若子命・天宇受売命・大山津見命・豊宇賀乃売命・木花佐久夜姫命、饒速日命・大水口宿禰穂積命・忍山宿禰・建速須佐之男命・大名牟遅命・伊邪那岐大神・伊邪那美大神・市杵島姫命・火産霊神・菅原道真公・保食神・伊香我子雄命

由緒
醍醐天皇延喜5年(905)勅命により撰修された「延喜式」神名帳に登録された式内社である。明治41年村社能牟良神社他近隣の20社を合祀。崇神天皇7年(紀元前91年)の御代に勅命をもって伊香我色雄命に猿田彦命を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿祢の子孫80代相継いで神主となり明治に至る。垂仁天皇御代に皇女倭姫命がご案内役となって天照皇大神の鎮座の地を求めて大和の国から忍山に御遷幸になり半年御鎮座されたその跡をかしこんで大神を奉祀した。景行天皇御代に王子日本武尊は東征に際し忍山神社に立ち寄られ神主忍山宿祢の長女弟橘媛を妃とされ媛は東征に従われ相模の海が海神の怒りで荒れたため入水してその怒りを鎮められたと伝承されている。大正天皇6年10月鎮座2000年祭が斎行された。毎年10月の例祭には荒魂をなぐさめる為傘鉾が町内巡行される。昭和27年亀山市指定文化財(無形民俗文化財)に指定。
三重県神社庁公式サイト より

参道入口

一の鳥居

境内入口の二の鳥居

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正12年(1923)10月建立)

拝殿内部

本殿


石碑

鈴鹿小山の宮(忍山)倭姫命御巡幸地跡
垂仁天皇(第11代天皇)御代に皇女倭姫命が御杖代となって、天照大御神の鎮座の地をもとめて、大和の国から忍山に御遷幸になった。その際神宮を造営し御鎮座になられること半年、なおも南へ遷り坐したという。その跡をかしこんで大神を奉祀した。