布氣皇舘太(ふけこうたつだい)神社

亀山市布気町1663 (平成26年5月9日)

東経136度25分52.33秒、北緯34度51分14.68秒に鎮座。

この神社は、JR関西本線・亀山駅の西北西2.5km程の辺り、布気町の街中に鎮座しております。多分この町が当社の門前町であったと思われます。

御祭神 天照大御神・豊受大神・猿田彦大神・伊吹戸主大神・宇迦之御魂神・大山津見神・大名牟遅神・菅原道真・火之夜勢速男命・宇都志國玉神・木花佐久夜比賣命・天宇受賣命・建速須佐之男命・品陀和氣命・稲田比賣命・高御産巣日神・手力雄命・彦狭知命・手置帆負命・火之迦具土神・帯中日子神・廣國押武金日神・五男三女神

由緒
延喜式巻九「伊勢國鈴鹿郡19座並小布氣神社」とあり、垂仁天皇18年(BC12)の 創始にかかる式内社です。
社名の皇舘とは、垂仁天皇の御宇、天照大御神が忍山に御遷幸の折、大比古名が神田・神戸を献じたことに由来し、野尻、落針、太岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷といいました。
九々五集第六上には、「高野大神宮 関氏より続テ亀山御城主御氏神三社之内 神辺郷惣社ノ宮(略)宮地長80間横100間」とあり、また同書の巻第九の巻末に記述の「舘殿御由来」には「抑勢州鈴鹿郡神戸庄皇舘多賀ノ宮は豊受皇太神宮の荒魂の御神なり、夫レ神戸と申侍るは、人王10代崇神天皇七かのへ寅歳奉勅命て、諸国所々に御舘を改め、其郡の宗廟として荒魂の御神を社の神戸なり」とあります。
布気皇舘太神社は、時代によっていろいろな名で村人に親しまれたが、明治41年(1908)近郷の小社・小祠を合祀し、現在の社名となりました。
境内由緒書き より

社頭

参道入口

社号標。「式内 布氣神社 太神宮遷幸 御鎮座古所」

参道

境内

拝殿

拝殿内部

本殿

本殿玉垣内のはじめ狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

末社

富士山大権現

裏参道入口