掃守社

伊勢市中島2(平成18年3月31日)

地図に浅間神社とあり写真を撮りながら、一体どれが浅間神社か?。と首をひねってばかりいましたが、帰宅後調べて納得!。浅間堤にあるので浅間神社と誤記されたのでしょう。

いきなりビックリ!。参道入り口が駐車場やら物置になっています。

寛永10年(1633年)たび重なる宮川の洪水の被害から人々を護るため、自ら人柱となったのが庄屋・松井孫右衛門。その後は宮川堤が決壊したことがないと伝えられているそうです。現在は社が建てられ、静かに眠っておられるようです。右の句碑は「孫右衛門西向き花のここ浄土」とあります。

村民を護る為、自ら犠牲になり、死後も永遠に堤防を護ろうとした孫右衛門。ここの人々が神として祀るのも当然でしょう。我と私ばかりになってしまった日本。公の為私を顧みなかった孫右衛門。現代の政治家も少しは見習ってほしいものです。