合格神社

伊勢市宇治今在家町 (平成29年2月19日)

東経136度43分25.18秒、北緯34度27分23.99秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
入口は伊勢神宮の駐車場に隣接、饗土橋姫神社の左側にあります。参道は長く、足元は落ち葉、枯れ木がいっぱい。野球選手の尾崎行雄さんは政治家である尾崎行雄さんにあやかって同じ名を付けられたとのこと。

御祭神 尾崎 行雄、憲政の神様

御由緒
世界平和と民主々義の実現に一生を捧げた尾崎行雄(咢堂翁)は明治・大正・昭和の三代に亘り我國の政治に貢献した唯一人の名誉國会議員であり又東京都名誉都民第一号でもあります。
この合格神社は”憲法の神”ともいわれた翁の著書”人生の本舞台は常に将来にあり”の教本を御神体とすると共に、伊勢神宮の末社をもお祭した社です。
御祭神「咢堂翁」の志と人格を未来永劫の永きに亘って讃えると共に翁を人間育成の努力目標とし、その成就を祈願する為この碑を建て後世に語り伝えるものです。
建立記念碑 より

尾崎行雄
職業・身分 政治家、ジャーナリスト 出身地(現在) 神奈川県
生没年月日 安政5年(11月20日〜昭和29年10月6日) (1858年12月24日〜1954年10月6日)
号・別称等 尾崎咢堂(おざき がくどう)
父は地方官。慶応義塾、工学寮を共に中退。その後、新潟新聞、郵便報知新聞などのジャーナリズムの世界に身を投じる。
明治23年(1890)第1回総選挙に当選し、昭和27年(1952)総選挙まで連続25回当選。その間に文相、東京市長、司法相などを歴任。
大正元年(1912)の第一次護憲運動では犬養毅と共にその先頭に立ち、桂首相を追求して、「憲政の神様」と呼ばれた。
昭和17年(1942)翼賛選挙に批判的な立場を取り、不敬罪として起訴されたが、無罪となる。
戦後は長老的な存在として活動し、衆議院名誉議員となる。没後、彼を記念して国会の脇に「尾崎記念館」が建てられた。
国立国会図書館>近代日本人の肖像>尾崎行雄 より

入口、右側は饗土橋姫神社

参道

神社全景

入口左右の岡崎型狛犬

鳥居

境内

社殿