木積神社

与謝郡与謝野町弓木455(平成22年7月28日)

東経135度8分17.3秒、北緯35度33分7.69秒に鎮座。

 この神社は石田公園の西南西約150mに鎮座し、「式内木積神社」の社号標は神社の手前の人家横に設置してあります。
 石垣が組まれ、玉垣が巡る神社の入口は狭い感じがしますが、奥に広がる杜は大きく、豊かで、この社の歴史の永さを物語っているようです。下の境内から 石段の参道に移るところには神橋が架けられ、静かな境内に水音が響いています。上の境内入り口には天保15年生まれの出雲丹後狛犬がいて、入母屋造りの拝殿や府登録文化財の本殿を護っています。

 御祭神:五十猛神、配祀:大物主神
 祭礼日:春祭・春分の日、例祭・4月30日5月1日、秋祭・11月23日
 境内社:恵美須神社、速玉神社、稲荷神社、猿田彦大神
 由緒:当神社は「木積山王」とも云われる。延喜2年(902)に作成された延喜式神名帳における官弊小社。よって創立はそれ以前と考えられる。その後罹災して建築物は悉く鳥有に帰し、社記、古文書等皆焼失し、沿革等を詳しく知ることができなくなったが「山王宮社再建寄進帳」によると、天明6年丙午8月(1786)に再建され、その後、昭和2年3月丹後震災に遭い本殿、拝殿等、倒壊はまぬがれたが、輿倉、大鳥居、石燈籠等はほとんど倒壊した。輿倉はすぐに再建されたけれども、社殿その他は応急補修のみで年次老朽の度を深めるに至り昭和12年2月社殿の充実完備をもって神威の昂揚をはからんと、社殿の改築を発起し同15年完成するに至った。
 また「三輪神社・祭神大物主神」については、創立年代は不詳だが、慶応4年4月の記録に「山王大神・祭神大物主神」とあり、明治2年6月17日「三輪神社・祭神大物主神」と改号され「木積神社」に配祀されている。
 両神社共に樹木、木材家屋の祖神、国土経営、医薬治療、家運隆盛の祖神として広く世人に崇敬せられている。
 明治6年2月10日村社に列格。大正9年2月3日指定村社に列格。昭和21年6月20日宗教法人令の神社となり、従前の社格が廃止となる。昭和27年7月9日宗教法人法による神社となり、神社本庁に属した。

社号標
「式内木積神社」
社頭
入口に立つ明神鳥居と「木積大神、三輪太神」の額
下の境内の様子
神橋
石段参道の様子
上の境内入り口
上の境内入り口にいる天保15年生まれの出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保15年(1844)甲辰建立)
拝殿
拝殿目抜き彫刻・龍
拝殿木鼻・象
弊殿と本殿覆い屋
府登録文化財・本殿
合社
恵美須神社、速玉神社、稲荷神社
猿田彦大神
ご神木・親子杉
鎮守の杜