山王宮日吉神社

宮津市宮町1408(平成22年7月28日)

東経135度11分29.87秒、北緯35度32分13.66秒に鎮座。

 この神社は北近畿タンゴ鉄道宮津線・宮津駅の北西約1.2kmに鎮座しています。
 道路に神橋が架かり、「山王宮」の額が掛かる明神鳥居を潜ると北近畿タンゴ鉄道宮津線の鉄橋が掛かり、その向こう側に神社の参道入口。中央と右側に石段が有り、左に境内へと上がる車道が造られています。石段参道上には建立年代不明の出雲丹後狛犬がいて、参道には迫力満点のご神木。その後ろ側に境内へと上がる石段が付けられています。
 境内は広々と明るく、中央に社殿、左右に境内社、左手前には真新しい祈祷待合所兼御輿庫、右側には漱玉亭跡庭園と赤ちゃん初土俵入りに使われる土俵が設えてあります。
 全体的な印象は、巨木に囲まれた境内や社殿に、整然と整えられた清々しさと永い歴史が感じられる、綺麗な神社でした。

 御祭神:大山咋命、大己貴命
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、2月3日・節分祭、2月17日・祈年祭、浮太鼓、3月 20日・例祭、5月13日〜15日・例祭 宮津祭)、5月中旬・式年祭(60年に一度、甲子年)、7月9日・例祭、7月31日・川裾祭(夏越の祭)、9月10日・例祭、10月10日・例祭(相撲祭 赤ちゃん初土俵入)、10月27日・例祭、11月20日・例祭、11月23日・新嘗祭、毎月1・15日・月次祭
 境内社:杉末神社、恵比須神社、船魂神社、年徳神社、琴平神社、致命壮烈社、山神社
 由緒:この社は、宮津総氏神また宮津藩の守護神として、本殿右隣にある式内摂社「杉末神社」と共に平安時代から続く神社です。社記によれば平安後期に現在摂社である杉末神社境内に勧請されたとあります。
 杉末神社は赤ちゃん初土俵入が行われる神社ですが、平安時代初期に記された延喜式神名帳に宮津で唯一登載されている宮津最古の神社で、宮津の地に人々が住み着いた遙か昔から、宮津の守り神として崇められてきました。宮津(宮のある入り江)という地名の由来となった神社です。
 江戸時代に入り、歴代宮津藩主は山王宮を宮津の総氏神として藩の守護神とします。ご本殿や幣殿、そして神輿や石灯籠まで藩主により再建、造営され神域中心に主神として祀られます。それにともない式内・杉末神社は摂社として宮津西地区の守り神となります。江戸中期の文書では宮津の城下のほぼ全てが山王宮の氏子であるとされていますが、そうした中で続いてきましたのが例祭である山王祭です。
 藩祭とされた山王祭は城下上げての大祭で武家、町民挙って参加しました。宮津祭と呼ばれる所以です。山王宮日吉神社は宮津を統一する総氏神として城下町衆と共に様々な伝統儀式を執り行って今日に続いて来ました。宮津の町と山王宮は一体となって城下町独特の素晴らしい鯔背な祭文化を形作ってきたといえます。現在でも毎月初めの1日、また例祭日と同じ15日には月次祭が執り行われ、宮津の平安を祈る儀式が変わらずに続けられています。
 赤ちゃん「初土俵入」は山王宮境内にある杉末神社の例祭に執り行われる神事で、化粧廻しを付けた幼児が見えない神様を相手に相撲を取るという、全国でもきわめて珍しく、また可愛らしい神事といわれています。
宮津の町では江戸時代初期から地元力士により奉納花相撲が執り行われていました。その影響を受け、江戸中期に氏子中の有力な家々が屋号などをもとにした化粧廻しを作り、その息子たちを土俵に上げたのが始まりです。
神社に残る文献によりますと延宝九年(1681)より「花相撲仕り・・・」とあり、その頃から寛政年間(1789)にかけて徐々に現在の形が作られていったと考えられます。旧家には昔使われた化粧廻しを残す所もあり、またその一部は神社に寄贈され保管されています。
 杉末神社の例祭に執り行われる神事・赤ちゃん「初土俵入」は、見えない神様と相撲を取る神事です。神様を土俵際まで押し出そうとしますが、押し戻されて赤ちゃんは負けてしまいます。しかし、神様と相撲を取り、神聖な土俵の砂をお尻に付けることで健康を授かるという微笑ましい神事です。
(「山王宮日吉神社公式サイト」より)



参道入口
神橋
参道に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額「山王宮」
参道途中を横断する北近畿タンゴ鉄道宮津線の鉄橋
神社入り口
入り口からの石段参道上にいる建立年代不明の出雲丹後狛犬
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参道の様子
樹齢一千年ともいわるご神木・椎
境内へ上がる石段参道脇にいる建立年代不明の出雲丹後狛犬
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境内へ上がる最後の石段参道
境内入り口
境内の様子
境内に奉納されている変わり灯籠
拝殿前、建立年代不明の尾付き狛犬
メタボで素朴な愛嬌のある狛犬です。大きな鼻で獅子頭のような顔つきですが目に優しさが溢れています。決して上手な造りとはいえませんが、親しみやすく誰にでも好かれる狛犬です。
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府登録文化財・開放的で大きな拝殿
天保5年(1834)藩主・本荘宗發により創建されたもので、入母屋・銅板葺き。
拝殿に掛かる注連縄
拝殿内の様子
弊殿
府指定文化財・檜皮葺の本殿
貞享5年(1688)宮津藩主・永井尚長により再建。
本殿木鼻・狛犬と?
脇障子・龍

神馬舎 土俵
境内社:年徳神社(大歳神) 府登録文化財・境内社:船魂神社(猿田彦命)
船魂神社縁にいる出雲丹後狛犬
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府登録文化財・寛政6年(1794)に再建された境内社:杉末神社(大物主命、少彦名命)
宮津の地名の由来となった当地最古の神社で、現社殿は江戸時代丹後地方の宮大工である富田氏により造営された、山王宮の建築群の中では一際重厚な深い彫刻が特徴。
杉末神社目抜き彫刻・龍
杉末神社木鼻・狛犬と象
杉末神社妻下彫刻
杉末神社を護る建立年代不明の出雲丹後狛犬
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府登録文化財・境内社:恵比須神社(事代主命)
恵比須神社目抜き彫刻・麒麟
恵比須神社木鼻・狛犬と象
恵比須神社妻下彫刻
境内社:琴平神社(大物主命)
琴平神社を護る岡崎現代型狛犬
境内社:致命壮烈社(護国の英霊)

漱玉亭跡庭園