籠(この)神社
宮津市字大垣430(平成18年11月28日)
この社は、宮津市の天橋立の近くにある神社です。式内社・丹後国一宮で、旧社格は国幣中社(現、神社本庁の別表神社)。元伊勢の一つであり、元伊勢籠神社とも称しています。別称
元伊勢根本宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神。
御祭神:彦火明命(ひこほあかりのみこと、別名:天火明命、天照御魂神、天照国照彦火明命、饒速日命)を主祭神とし、豊受大神(別名:御饌津神)、天照大神、海神、天水分神を相殿にお祀りしています。(祭神には諸説があり、『丹後国式社證実考』などでは伊弉諾尊としていますが、これは、伊弉諾尊が天に登るための梯子が倒れて天橋立になったという伝承があるためです。)
境内社:『摂社』蛭子神社(彦火火出見命・倭宿彌命))、天照皇大神社(天照大神の和魂あるいは荒魂)、真名井稲荷神社(宇迦御魂・保食神・豊受比売)
-- 明治末期まで奥宮真名井神社に鎮座していたものを、1991年に本社境内に再建。『末社』春日大明神社(春日四神)、猿田彦神社(猿田彦神)
境外社:この社の北東約400mに、元の鎮座地である奥宮真名井神社(まないじんじゃ)があります。本殿はなく、拝殿の裏に2つの磐座があり、右の磐座主座は豊受大神を主祭神とし、相殿に罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神を祀り、左の磐座西座は天照大神を主祭神とし伊射奈岐大神・伊射奈美大神を配祀しています。真名井という社名は、境内に「真名井の水」という神水が涌き出ていることに由来しています。
例祭日:4月24日(葵祭)
由緒:社伝によれば、元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていました。『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていました。4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へと移られ、これによって、この社は「元伊勢」といわれるようになりました。
養老3年(719)、真名井原から現在地に遷座して主祭神を彦火明命とし、豊受・天照両神を相殿に祀り、社名を籠宮に改めました。真名井原の元の鎮座地は、摂社・奥宮真名井神社とされ、後に海神・天水分神が配祀されました。社名の由来は、祭神が籠に乗って雪の中に現れたから「籠宮」になったという伝承があります。
社家の海部氏は、彦火明命を祖とし、創建以来、代々奉斎をしてきたとされ、現在は82代目です。4代目の倭宿禰命は神武東征の際に亀に乗って神武天皇の前に現れ、大和国へ先導したとされています。「海部氏系図」は国宝に指定されています。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)
「由緒」「境内案内図」拡大写真はこちらで
参道入り口 |
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社号標「元伊勢大神宮籠之宮」「与佐宮阯丹後一ノ宮」 |
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神橋・宇治橋と一の鳥居 |
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参道の様子 |
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さざれ石 |
参道脇のご神木 |
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二の鳥居 |
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神門前の様子(パノラマ写真です) |
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国重要文化財指定・鎌倉時代の作といわれている狛犬です。籠神社型といわれ数々のコピーが造られている日本を代表する狛犬の一つです。現在では、鎌倉時代の作という鑑定には疑問があり、安土桃山時代説が有力になっているようですが、東大寺南大門の中国獅子とは違って、「純国産」という所に魅力があります。小顔で胸板が厚く上半身がとても逞しく、威風堂々としたポーズに、特に招魂社系狛犬として多く残されています。吽には角があり、鬣は二重三重の縦ロールでカールされ逞しい前脚には長い臑毛が生えています。お尻も大きく重量感があり、尾は一旦太鼓橋の様に身体から離れてから、太く何本かに分かれさせた表現で、背中に付けられています。吽の前足には岩見重太郎に斬りつけられたといわれている刀傷が残っています。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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神門 |
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境内の様子(パノラマ写真です) |
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拝殿 |
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拝殿内の様子と本殿正面 |
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本殿 |
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境内社:天照大神和魂社 |
境内社:春日大明神社 |
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境内社:猿田彦神社 |
境内社:恵美須神社 |
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境内社:真名井稲荷神社 |
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倭宿彌命像 |
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天然記念物・産霊岩 |
古代御生れの庭 |
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裏参道入り口 |
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裏参道入り口に立つ鳥居 |
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絵馬 |
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