飯役社(いいやくのやしろ)

宮津市中野(平成22年7月28日)

東経135度11分26.95秒、北緯35度34分35.03秒に鎮座。

 この神社は178号線と中野浄水場に挟まれて鎮座しています。鳥居は178号線から南に延びた路地に立っているので、余程注意していないと見逃してしまいそうな立地にあります。境内には出雲丹後狛犬がいて、社殿には漆喰の波乗りウサギが遊んでいました。

 御祭神:御食津命
 祭礼日:4月
 由緒:江戸時代後期の地誌「宮津府志」丹哥府志などには、この位置を溝尻村とする。中野・溝尻・小松等の大字の錯綜するこのあたり一帯に、この社を中心に、飯役・飯役前・飯役後・飯役浜・飯役立・飯役ノ上があり、北方妙立寺に至る間には、陣屋・大門・寺大門等がある。飯役社が大切な社であったし、この一帯が歴史的に重要な地であることをうかがわせる。
 飯役社は諸国にみられる印鑰社と同じである。印は国衙の印章であり、鑰は印櫃のかぎ、或は穀倉開閉のかぎなどといわれるが、何れにしても在地の国司役人によって儀式化された神事が行われた場所である。祭神は豊受大神・天照大神等一定しない。
 祭祀の為の料として「丹後国田数帳」には、拝師郷七町四段余のうちに、一町歩を割いて「印鎰社」に充てている。
 現在の田数帳は室町時代初めころ、15世紀中ごろの状況をもとに記されているが、この「鎰役社」の創立はもっと遡って考えることが出来るかもしれない。
 この社の存在を以て直もにこの付近に国衙が所在したと考えることはむずかしいにしても、密接な関係をもつ社ということは確かである。
 社名の文字を古例に従わず「飯役」とするわけは、四月の宮の大祭に、この杜が供膳のことに関係を持ったからと伝えている。
(「宮津市教育委員会 案内板」より)

社頭
入り口に立つ明神鳥居 自然石を利用した灯籠
境内の様子
拝殿前にいる出雲丹後狛犬
元気がよすぎて台座から飛び出したことがあるのでしょうか?ヒビや補修の跡が見られます。
狛犬の拡大写真はこちらで
社殿
社殿に掛かる額「飯役」
正面長押上の漆喰彫刻・波乗りウサギ
ご神木 ご神木下の地蔵尊