高倉神社

舞鶴市長浜宮谷474(平成22年7月27日)

東経135度21分55.46秒、北緯35度28分59.69秒に鎮座。

 この神社は舞鶴セントラル・マリーナ南に鎮座しています。目の前は穏やかな真鶴湾で、非常によく手入れされた綺麗な神社でした。
 白塀に囲まれた境内入り口には台輪鳥居が立ち、緑の絨毯のように彩色された参道正面に拝殿、本殿が建立されています。参道左に社務所が配され、社殿左右に境内社が祀られていますが、どの社殿も綺麗に整備され、説明書きもあり、とても丁寧な案内が書かれています。参拝していて気持ちが清々しくなる神社でした。

 御祭神:誉田別尊(応神天皇)、天児屋根尊(春日大神)、菅原道真(天神様)
 祭礼日:8月14日
 境内社:稲荷神社(高倉稲荷大明神)、五ツ森神社(保食神、大山祗神、日本武尊)、天満天神社、絵馬奉納社、十二月栗神社
 由緒:創立年代はよほど古く随神像が藤原時代(約千年前)の作であることでも偲ばれる。
 鎌倉時代(約八百年前)には既に正三位の神階(かみさまの位)を叙けられた近郷有数の神社である。弓矢の守護神として、往昔から近郷武将の崇敬も厚く天正六年には南部膳行社殿を建立し、次いで天正十二年には若狭和田の領主、岡本元幸が田畠を寄進するなど報賽(願の成就せる御礼に物を御供すること)の事蹟が多い。
 氏子は江戸時代には下安久、和田、長浜、余部上、余部下、北吸の六ヶ村に亘り神社奉仕に努め、天文六年、天徳五年、文政五年に両三度に亘り社殿を建替え、宝暦四年には入木道(書道)の宗家持明院家に社額の揮毫を請うなど社頭の整備に力を尽した。
 神石・往昔より里人この石を以って主祭神の憑依られたものとして崇敬し此の石を跨ぐ事を許さず、之を犯したものは必ず祟ありと言い通行人は之を避けて渚に沿いて歩行したと云い伝える。一名鞍掛石とも云う。戦国時代此の付近一帯が郷土の練武場であった事が社記に誌されている。思うに主祭神が此の石に鞍を掛け馬上姿となって練武を鼓舞せられたのであろう。
此の神石は元裏山近くの海岸にあったが軍の施設拡張の為海岸一帯が埋立てられた際、其の一部を取毀ちて境内に移したものである。
 上古は後方の山上に鎮座されていたが近海を航行する船は必ず帆を降すこと、これを守らない船は難波のおそれがありと云う、それであらたかな神威をおそれて現在の所に移したと云い伝えられている。近世までは高倉八幡宮と称していた。
明治初年迄大祭には北吸、余部上、余部下、和田、下安久、吉原から舟で太鼓、大刀振が高倉神社に練り込み宮本(長浜)も合せて大刀振を奉納し技を競ったものである。

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社頭
入り口に立つ台輪鳥居
参道・境内の様子
拝殿前、明治35年生まれの狛犬
出雲丹後狛犬ですが、剥落が酷かったのか、体表にセメントが吹き付けてあります。
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(明治35年(1902)8月吉日建立)
拝殿
拝殿、向拝下彫刻・鳳凰
拝殿目抜き彫刻・龍
拝殿木鼻・狛犬
本殿
境内社:五ツ森神社 境内社:稲荷神社
境内社:十二月栗神社 境内社:天満天神社
札納堂 記念碑
神石 手水舎
境内に張ってある新聞切り抜きに載っている市指定文化財・安久焼の狛犬
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高倉神社の狛犬