八幡神社

舞鶴市市場126-4(平成22年7月29日)

東経135度24分25.01秒、北緯35度28分23.46秒に鎮座。

 この神社は東舞鶴駅の北東約1.2km、小浜線の線路を挟んだ形で参道と境内が作られています。
 社号標の建つ27号線から境内までは凡そ100m、途中を一般道と小浜線の線路が分断しています。参道途中には「八幡神社市姫神社」と書かれた一の鳥居が立ち、踏切を渡ると境内入り口で、石段の上に二の鳥居。
 神社は上下に四層の境内が造られ一番上にガラス張り入母屋造りの綺麗な拝殿と、流造りの優雅な本殿が建立されています。途中にはたくさんの境内社と狛犬が置かれ、深い森の中に綺麗に手入れされた境内や社殿を見ることができる、気持ちの良い神社でした。

 御祭神:誉田別尊、市杵姫大神
 祭礼日:7月28日
 境内社:大川神社、疫神、北野神社、箭取大神、天照大神、兵主大神、愛宕大神、大川大神、稲荷大神、天照皇大神、稲荷大神、箭取大神
 由緒:誉田別尊、市杵姫大神を奉祀し市杵嶋姫大神と称せられたり。古老の口伝に依れば、創立の年代等不詳なれど、白糸浜は北海鎮護の要港なり。往昔厳島より市杵姫大神白糸浜の東市場宮ノ谷の御碕に鎮座され、専ら海上の守護神として、御神威赫々たり。奇瑞霊験を蒙る者少なからず大神を海鎮明神と尊称されていたが、中世市杵姫大神の御神託により、宇佐八幡大神を合殿に奉祀してより御神験益々高まり神徳輝きいつしか諸人 八幡神社と称するようになった。
 爾来繁栄続きたるも、応仁の乱の頃戦禍に依り衰微せるため天正年間中市場城城主逸見駿河守これを嘆き、神殿を修造さる。慶長年間田辺城主細川越中守特に当神社を敬し海防の神として神田を寄進し、11月8日の御火焚神事を復古せられたり。
 元文4年11月11日領主牧野家大内御殿より木造鳥居を御寄進あり。天命2年5月26日領主牧野豊前守棟梁として神殿を御造営せらる。
 明治30年正月市場の青年団結し、石鳥居を奉納する。
 明治32年1月28日八幡神社市杵姫神社の額字を正三位油小路隆薫氏より寄進あり、現在の石鳥居の題字なり。
 大正2年10月24日神饌幣帛供進及び合計法適用に指定せらる。
 大正13年敦鶴線工事により境内の一部を買収されたる為、境内の拡張工事を起こし、氏子一同の寄進に依り大正13年7月に現在の境内が完成する。

社号標
「八幡大神社」
参道の様子
一の明神鳥居 題字に「八幡神社市姫神社」と書かれています。
一の鳥居後ろにいる建立年代不明の出雲構え獅子
体全体の剥落が進み、顔の表情も定かではありません。
狛犬の拡大写真はこちらで
参道途中を横切る一般道
のみならず小浜線の線路を渡った向こう側が神社の入口です。
神社入口に立つ二の根巻鳥居
神社入口にいる建立年代不明の出雲丹後狛犬
こちらも剥落や欠損部分が多く顔つきは殆ど判別不明です。
狛犬の拡大写真はこちらで
一番目の境内に建つ社務所?参集殿? 境内に並ぶ子供御輿
2番目の境内入り口
2番目の境内の様子
境内社:大川神社 境内社:疫神
境内社:北野神社 境内社:箭取大神
境内社:松尾神社 境内社:乙姫神社
境内社:天照大神、兵主大神、
愛宕大神、大川大神、稲荷大神
境内社:天照皇大神
境内社:稲荷大神
稲荷大神の御眷属・お狐様
3番目の境内入り口
3番目の境内の様子
4番目の境内入り口
4番目の境内煮上がる石段脇にいる建立年代不明の出雲丹後狛犬
阿は大きく顔面が崩れ、双方共に体に苔を生やした貫禄十分な狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
元々姫神を祀った神社らしく、拝殿内には綺麗な生け花が置かれていました。
本殿
本殿目抜き彫刻・波乗りウサギ
本殿木鼻・狛犬と象
境内社:箭取大神