布留山神社

舞鶴市小倉407(平成22年7月29日)

東経135度25分59.2秒、北緯35度28分39.88秒に鎮座。

 この神社は27号線に面して鎮座しています。社頭には二基の鳥居が見え、左側は阿良須神社の物で、右側の鳥居はこの社 の物でした。この二社は地番も違えば、氏子地域も異なります。
 石段を上がると鳥居が立ち、その後も豊凶を占う火祭り神事「お松の神事」が行われる石垣まで、阿良須神社の西側を石段が続きます。鞘堂内の本殿は参道に向かって90度曲がった右側に、東向きに建立されています。板葺きの本殿は正面扉にすかし彫りの彫刻が施され、御簾がかけられた優雅な造りでした。

 御祭神:須佐之男、経津主命、武御雷神
 祭礼日:11月15日
 由緒:この社は小倉だけの氏神で、「加佐郡旧語集」では、「古山牛頭天王」として「一の宮末社」と記されている。だが、阿良須神社は、もと田中にあったのが、慶長5年(1600)関ケ原の戦いの当時、田辺城を包囲した西軍のため焼かれ、翌年布留山神社境内に移ってきたもので、布留山神社が古いとの説もある。
 社伝によると、崇神天皇の代、青葉山の土蜘、玖賀耳御笠を征伐した日子坐王が、ここに須佐之男、経津主命、武御雷神を祭って戦勝を祈り、平定後社を建て、兵器庫とし、この地を布留と称したとある。
 一説には丹後風土記残欠に書かれている「大倉木社」がこの神社で、小倉の地名は大倉が転訛したものという。大倉木は海部氏の祖神、天火明命から十六代目の大倉岐命に当る。
 江戸時代には「富山天王」と称したこともある。
 陰暦の11月15日には、社前に三本の大松明に点火、その燃え方により、明年の早生、中生、晩生の稲の作柄を占う「おまつり神事」が行われ、正午に伝統の火がつけられる。
(サイト「丹後の地名」より)

社頭
神社入り口
入口に立つ台輪鳥居
鳥居にかかる額
石段参道の様子
境内の様子
豊凶を占う火祭り神事「お松の神事」が行われる石垣
本殿鞘堂
本殿
本殿正面扉の彫刻
本殿木鼻・狛犬と象
本殿脇障子