朝代(あさしろ)神社

舞鶴市朝代13(平成22年7月29日)

東経135度19分37.73秒、北緯35度26分27.46秒に鎮座。

 この神社は西舞鶴駅の西北西約600m、高野川左岸近くに鎮座しています。
 神社は市街地と小丘地の狭間にあり、参道は入口を入るとすぐに大きな森の端を迂回するように左に曲がり、緩い石段を上がっていくと次は右に曲がり、境内に到達します。
 境内は山の中腹を切り開いた感じで奥行きがあり、まっすぐに伸びた参道左に手水舎が配され、奥に妻入りの大きな拝殿と弊殿、元文4年(1739)建立の市指定文化財・本殿が建立されています。境内社は社殿右と奥に点在しています。
 又この社には市最古の出雲構え獅子の他に神殿狛犬など計7対の狛犬がおり、私たちを大変楽しませてくれました。

 御祭神:朝代大神(伊奘諾尊)
 祭礼日:お日待祭・2月22日、春期例大祭・5月3日、水無月大祓・6月30日、秋季例大祭・11月3日他
 境内社:天満宮、大国神社、梅宮神社、松尾神社、祇園神社、疫神社、稲荷神社、須賀神社、多賀神社、工匠神社、奥姫稲荷神社、塩釜神社、恵比須神社
 由緒:御祭神は日本民族の祖先神であり初めての夫婦神として結婚の道を開かれて人間生活に不可欠なあらゆる物をお産みになりました。また禊ぎ祓えにより罪穢を祓い清新と発展の方向を示された貴い神様であります。
 当神社の御創建は約千三百年前の天武天皇白鳳元年九月、淡路国日ノ少宮をお遷したのに始まります。
 近世に入り、城下町田辺(舞鶴)の氏神様として歴代藩主の崇敬篤く、神輿・鳥居などの奉納が続き、士民を挙げての秋の祭礼は大いに賑わいました。また、昭和三年には府社に昇格、「朝の参りは朝代さまよ」や「日毎夜毎の朝代参り」などと民謡にも唄われ、広く崇敬されております。
 江戸期の大火に類焼し、元文四年に再建の御本殿(付・再建文書)が平成五年に舞鶴市の文化財に指定されております。

社頭
社号標
「府社朝代神社」
入口に立つ一の台輪鳥居
一の鳥居脇にいる明治34年生まれの出雲丹後狛犬
縦置きで、阿吽の位置が反対です。阿の鼻先から顎にかけてが欠けてしまいました。でも、注連縄が掛けられ大事にされているようですね。
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(明治34年(1901)10月再建)
入口石段前脇にいる明治23年生まれの狛犬
吽には角が付き、鬣、臑毛、尾等の渦や毛並みが綺麗に表現された、細部まで丁寧な彫りの狛犬です。
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(明治23年(1890)11月吉日建立)
石段上に立つ二の両部鳥居
両部鳥居を潜ると参道は左に折れ、平坦地と石段が連続しています。
ここから参道は右に曲がります
境内入り口
境内入り口にいる舞鶴市最古の出雲構え獅子
来待石の狛犬は風化が早いのですが、この狛犬も阿は下顎が、吽は顔前面に欠損が見られます。体の剥落も進んでいますね。
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(文政9年(1826)丙戌11月吉日建立)
境内の様子
拝殿前にいる明治31年生まれの出雲丹後狛犬
縦置きで、阿吽の位置が反対です。阿は頬や鼻、背、尾などにたくさんの苔を付け、貫禄十分なお姿をしています。
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(明治31年(1898)6月19日建立)
拝殿前に奉納されているブロンズの素敵な灯籠
妻入りの大きな拝殿
弊殿脇にいる狛犬
太めで尾の付き方等から古そうな狛犬ですが、木塀の中にいて傍には寄れず、弊殿の方を向けているので顔付きは分かりません。
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弊殿と市指定文化財・本殿(元文4年(1739)建立)
本殿向拝下彫刻
本殿木鼻・狛犬と象
本殿縁にいる木製神殿狛犬
縦置きで阿吽の位置が反対です。阿吽でかなり造りや彩色が異なる感じの狛犬です。
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境内社:天満宮 境内社:大国神社、梅宮神社、
松尾神社、祇園神社、疫神社
境内社:稲荷神社、須賀神社、
多賀神社、工匠神社
境内社:奥姫稲荷神社
神馬舎 境内社?
境内社