阿良須神社

舞鶴市小倉フル宮13(平成22年7月29日)

東経135度25分59.45秒、北緯35度28分39.85秒に鎮座。

 この神社は27号線に面して鎮座しています。社頭には二基の鳥居が見え、はじめは二基共この社の鳥居かと思っていましたが、左側がこの社の物で、右側の鳥居は富(布)留山神社 の物でした。この二社は地番も違えば、氏子地域も異なります。
 入口の社号標には「郷社阿良須神社」と書かれ、鳥居の額には「正一位一宮大明神」とあります。鳥居を潜り、石段を数段上がると境内で、広々と明るい境内左には境内社が配され、正面に神門のような感じの拝殿と、それに連なる回廊が建立されています。
 回廊は正面だけに建立されており、回り込むと本殿のすぐ近くまで行くことができます。本殿前にはこの地域には珍しい狛犬がおり、「式内阿良須神社」の社号標も立っています。流造りの本殿は彫刻が施された素敵な社殿でした。本殿右手の丘の上からは御神水が湧き出ているようです。
 背後の青葉山から続く鎮守の杜が、雄大さと静けさ、清々しさを感じさせる、神寂びた素敵な神社でした。

 御祭神:豊受大神一座、相殿神:多岐都姫命、市杵島姫命、多紀理姫命、三座、木花咲夜姫命(殿内秘座二宮神)
 祭礼日:10月末の日曜日
 境内社:神明神社、二柱神社、桜王神社
 由緒:当社は崇神天皇十年丹波将軍道主王が青葉山に住む土蜘蛛陸耳御笠と云う兇賊を征伐し給う時、豊受大神を神奈備の浅香の森にお祀りされたのを創祀とする。降りて天武天皇白鳳十年九月三日柳原の地に社殿を建て春日部村の氏神阿良須神社と奉称す、遡りて元年大友皇子の御謀叛の時越前阿須波の里へ忍び給う高市皇子は当社当社に幸し天下鎮静を大神に祈り御歌を詠じ給う。
 曇る世に柳ケ原をながむれば 神の恵みや晴るる朝霧
 風来ぬる青葉の山の煙りたへ 行先遠き雲の上かな
 御染筆奉納にありたり爾来朝家の御崇敬厚く殊に延暦二十四年正一位を賜わる。堀川院御子無きをうれいて当社に祈願を寄せ給いしに感応ありて宗仁親王誕生あらせられければ、寛治元年正一位一宮大明神の御額奉らる御筆は羽林飛鳥井卿の御真蹟なり。かくて当社は古来より子宝を授け安産に奇霊なる神徳を現わし給うと云う。貞元年中当国に叛賊起り国内乱れし時、藤原保昌賊徒平定を祈願し当社に拝す。観応元年三月十五日神田五反政所尭基寛正三年神田一反代官河嶋主計充秀寄進す。而して慶長五年九月七日兵燹に罹りて本社、二の宮、拝殿、御饌殿、神楽殿、中門回廊、宝物等悉く焼失した。翌年細川忠興社を布留山の地へ遷す、即ち今の社地なり。その後、明暦四年三月二十四日、文政十二年六月三日 両度本殿を改築す。
 (例祭) 九月三日が古例なれど現在は十月末の日曜日
 (式年行事) 御屋根洗式十ケ年 近年行われず
 (所有文書) 南北朝室町時代文書十三通(一巻)一宮大明神縁起(一巻)同造立願文(一巻)大般若経(一巻)を蔵し大般若経を除き京都府登録文化財並びに舞鶴市指定文化財である。

「阿良須神社由緒」拡大写真はこちらで

社頭
社号標
「郷社阿良須神社」
明神鳥居
額には「正一位一宮大明神」と書かれています。
参道の様子
境内入り口
境内の様子 拝殿と回廊
拝殿
本殿を護る寛政6年生まれの狛犬
縦置きで阿吽の位置が反対です。吽には大きな角が付き、顎髭や短い鬣は二段に分かれています。丸い大きな目や尖った顎、背に張り付いた可愛い尾等この辺りでは全く見かけない狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政6年(1794)甲寅10月吉祥日建立)
本殿と周囲の境内の様子
本殿、彫刻類の拡大写真はこちらで
境内社 境内社
境内社:愛宕神社入り口
御神水