壹美白辨財天社

京都市右京区嵯峨広沢町(平成19年1月2日)

奈良県の「猿沢の池」と共に広く知られるこの広沢池の由来は、平安時代の中期(永祚元年、989年)に宇多天皇の孫・寛朝(かんちょう)僧正が今の池の北西あたりに遍照寺を建立した際に造られた池と伝えられ、「遍照寺池」とも呼ばれています。また、嵯峨野を含めた洛西の地は、8世紀頃に秦(はた)氏によって開拓・開発された地であるため、その秦氏がこの付近一帯の用水池として原始的な溜池を造ったのが始まりとの説もあります。かって池のほとりに月見堂があり月見の名所であったようです。「名月や池をめぐりて夜もすがら」芭蕉。

観音島遠景

同じく観音島近景。

壹美白弁財天社の祠

湖畔に立つ千手観音。