京都市右京区龍安寺住吉町1 (平成24年9月28日)
東経135度43分11.07秒、北緯35度01分42.76秒に鎮座。
この神社は、京福電鉄北野線・龍安寺駅の北西500m程の辺り、龍安寺住吉町の街外れに鎮座しております。
御祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・大伴祖神・天押日命・道臣命
由緒
住吉大伴とは古代の豪族大伴氏を祭る伴氏神社に住吉大神を合せ祭ったことによる。
大伴氏は、はじめ大和国にあってその勢力を振るっていたが、平安遷都によりこの地に移住し、その祖先の神、天押日命を祭ったのである。「續日本後記」には「承和元年(834)正月賜葛野郡上林郷地方一町於伴宿祢等為祀り氏神之処」(834)、又「嘉承2年(1107)12月授從五位下伴氏神社」(849)とあり、大伴氏は上代の武門の家として、物部氏と共に皇居を警固し禍乱を鎮圧して功を立てた一族であり、後に淳和天皇(第53代)の御諱の大伴親王をはばかり伴氏と改めたのである。応天門の変(貞観8年,866)によって伴善男が伊豆に流されてから衰退し伴氏神社の名も世に疎くなっていったものと思はれる。
並河永編するところの「山城誌」(享保19年刊,1734)に「伴氏神社(中略)在龍安寺村今祢住吉」とあり、又伴信友(嘉永元年没,1848)の「神名帳考證」には「伴氏神社(中略)今龍安寺村にありて住吉といふ」とあり、両書とも古伝によるものであるが、当社が伴氏神社と同じ地にありながら、いつの世にか住吉神社と称せられるに至ったのは、伴氏の衰微と共に葛野郡に山荘を営む徳大寺家の領するところとなり、その徳大寺家が和歌の神として崇めた住吉三神を祭ったことにより伴氏神社は住吉神社として祭られ、それ以来永く龍安寺、谷口地区の氏神として崇敬されていたが、昭和17年(1942)8月21日許しを得て、住吉三神及び大伴祖神を合祀、社名を住吉大伴神社と変更して今日に至る。
住吉の神の和と、大伴の神の武、それぞれ和武合体中庸を保ちて和平の神と崇められている。
境内由緒書き より。
神社入口
神額
境内
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和11年(1936)9月建立)
本殿
本殿正面
小松尾神社