赤山大明神

左京区修学院赤山町(平成15年1月4日)

ここ赤山禅院は神仏習合の形態を保っており、神社のように本殿と称しますが、建物はお寺の本堂のような造りで不思議な所です。
本尊の赤山明神は中国の赤山にある泰山府君を勧請.

ここも都の鬼門にあたり御幣を担いだ猿が鎮座しております。
今回は行けなかったが、京都御所の表鬼門「猿が辻」の看板には以下の解説がある。
この烏帽子をかぶり御幣をかついだこの猿は、御所の鬼門を守る日吉山王神社の使者ですが、夜になるとこの付近をうろつきいたずらをしたため、金網を張って閉じ込められたと言われている。
又、「難を去る」と語呂合わせ説もある。

天台宗を開いた最澄は弟子を空海に取られたり、奈良仏教との論争やらで、天台の教義を完成出来なく、失意の底にあったらしい。その死の臨んで、弟子を集め遺言した。
「我が為に仏を作るなかれ、我が為に経を写するなかれ。ただ我が志をのべよ」
師の志を継ぐべく唐へ渡った円仁だが、当時の唐は全盛期を過ぎ、廃仏の嵐の中、赤山の新羅人の助けにより唐での勉学が可能になったようだ。帰唐後第三世天台座主になった円仁だが、晩年、赤山の神を祀らねば....と言いつつ亡くなった。死後一山が一念発起し、仁和四年に叡山の西坂にあった南大納言の山荘を二百貫文で買い取り、建立したのが、ここ赤山禅院。
京都市の解説では、赤山禅院は888年に、天台座主安慧(あんね)が、師である慈覚大師の遺命によって創建した天台宗の寺院であると書かれている。
赤山禅院で祀られている赤山明神は、泰山府君ともいう。源平盛衰記では、「赤山明神とは震旦(中国)の山の名なり。かの山に住む神なれば、赤山明神と申すや。本地は地蔵菩薩なり。泰山府君とぞ申す。」と、あり赤山は泰山のいわば分院だったのだろう。
 泰山は中国の山東省の霊山で、この山の神が泰山府君である。円仁の著「入唐求法巡礼記」では、838年入唐後、天台山で修業しようとしたところ許されず、揚州の開元寺で学ぶ。一年後に帰国する予定が、乗船した遣唐船は山東半島の登州に漂着、それからしばらく赤山法花院で学び、五台山、長安に遊学、再び新羅の商船で日本に帰った。その船は847年博多の鴻臚館(こうろかん)の浜辺に着いた。山東省の海辺には800年頃、新羅の居留地(新羅坊)があり、秦一族が定住していた。そこは新羅船(横揺れに強い外航行船)が行き交っていた。赤山法花院は新羅居留民(秦氏)が寄進した寺院だった。円仁が唐の帰りに船の上で念仏の守護神として摩多羅神が現れたとする伝説の船とは新羅船だった。ここで、浮かび上がるのが日本〜新羅〜山東省(登州)という同祖同族ネットワークである。

鼻の突起が無く、目が異様に大きい出雲構え獅子

地蔵堂

入口には正念珠

凛々しいお顔の神殿狛犬。金箔が剥がれて赤金の斑模様

屋根に猿を頂く本殿

境内には、はるばる異国の地からやって来た、可愛い狛犬達が集う

この二本の鳥居を恋人と往復すると二人は結ばれるという言い伝えがあった様な・・・?
私も夫と潜ってみました・・変?

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