綾戸國中(あやとくなか)神社

京都市南区久世上久世町673(平成19年1月2日)

 この神社は国道171号線で西に向かい、桂川を新久世橋で渡りそのまま直進すると、東海道新幹線のガード下を潜りますが、その直前右側に鎮座しています。地図に記載はありません。「綾戸國中」とはどんな風に読んだらいいのだろう…と考え込んでいましたが、綾戸神社・國中神社という式内社に比定されている二社が合体した名称でした。国道171号線の道路拡張や新幹線開通の為、社域は随分狭められたようですが、まだまだ鎮守の杜が残され、境内は結構広く綺麗に清掃された気持ちの良い神社でした。只、日没寸前の参拝だったため写真の出来が今一ですのでご了承の程…。

 御祭神:綾戸神社・大綾津日神、大直日神、神直日神
      國中神社・素盞嗚尊
 例祭日:1月1日・歳旦祭、2月 節分・節分祭、5月 第2日曜日・例祭、6月30日・例祭、7月13日・祇園祭社参祈願祭 [神事名]稚児社参祈願 、7月17日・祇園祭神幸祭供奉祈願祭 [神事名]稚児供奉祈願、7月24日・祇園祭還幸祭供奉祈願祭 [神事名]稚児供奉祈願、9月15日・お千度祭、12月31日・大祓、毎月1日・15日・月次祭
 由緒:綾戸宮は、式内論社の茨田神社と考えられ、第26代・継躰天皇15年(521)に綾戸大明神として三柱の神が勧請されました。大井川(桂川)七瀬の祓神として「大井社」と称していましたが、天暦9年(955)綾戸宮と改称されたと伝えられています。戦国時代に兵火にあい、社宝、旧記は焼失してしまいました。
 合祀されている國中宮は、式内論社の國中神社とされ、神代の頃、午頭天皇(素戔鳴尊)が当時は湖水だった山城の地に天から降りられ、水を切り流し国とし、その中心とおぼしき所に符を遣わされました。その符とは素戔鳴尊の愛馬・天幸駒の頭を自ら彫刻して、新羅に渡海の前に尊の形見として遣わしたもので、この馬の頭が國中宮の御神体として祀られ、今でも夏の祇園祭には稚児が駒形の御神体を胸に奉持して乗馬で供奉するそうです。
 社殿は昔は二社殿でしたが、昭和9年の室戸台風で倒壊したため、昭和11年秋に、一社殿・ 二扉として、向かって左に綾戸宮、 右に國中宮がお祀りされました。ところが 昭和39年の東海道新幹線通過のため境内地、社殿等を東に移転し、現在に至っているということです。
(平成祭データより)

社号標 神社入口
拝殿 本殿
拝殿と本殿の間にいた岡崎現代型狛犬
本殿縁にいる年代不明の笏谷狛犬