惟喬神社

京都市北区真弓(平成16年1月3日)

由緒等: 惟喬親王は貞観九年、この山中に御隠栖の後、高雲宮を造ってご住居された。 その後、御落飾ありて同十五年二月二十日御年二十六にて薨じ給ひしかば供奉の人々御霊を此処に鎮め奉りしなり。
失意の親王が隠遁生活を送るのに相応しい山中の薄暗い場所に有りました。

惟喬親王は文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘静子。天皇の寵愛厚く皇太子に立てようとするが、藤原良房の娘明子に惟仁親王が生まれたために実現せず、二十八才の時、剃髪して出家し、「小野の里」に隠棲する。人は親王を「小野の宮」と呼んだ。そして、五十四才で薨じたと伝えられる。

神社全景

この京尾付狛犬だけは
天に向かって何かを訴えるかの如く咆吼しています。

人?(犬)の良さげな神殿狛犬。阿吽が反対。

(大正11年建立)