粟田神社

東山区粟田口粟田山北町(平成16年1月2日)

粟田神社のHPはこちら

粟田神社の起源は平安時代、清和天皇の頃に疫病に悩み天皇は国民の安全を祈願し、また感神院祇園社、今の八坂神社に藤原興世を勅使として送りました。興世の満願の夜、枕元に一人の老翁が立ち「汝すぐ天皇に伝えよ、叡慮を痛められること天に通じたれば、我を祭れば必ず国家と民は安全なり、我は大己貴神なり。帝都の東祇園の東北に牛頭天皇の縁の地有り、その地に我を祭るべし」と云って消えたとか。その神霊を祀ったのが粟田神社となっています。
古い歴史を伝える粟田神社 粟田神社は江戸時代までは感神院新宮、あるいは牛頭天皇を祭ることから粟田天王社、粟田八大王子社と呼ばれていたそうです。現在は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)を祀りますが、天王社、王子社と云う名は平安京の成り立ちを考える上で重要な呼び名です。
ここの御神酒は濁り酒でとても美味しく、我が飲んべ〜亭主は2年連続初詣に出かけております。

拝殿

神楽殿

丸く盛り上がった鬣をネックレスの様に
首に巻いた古そうな京うちわ狛犬