藤森神社

伏見区深草藤森町(平成15年1月3日)

神社社務所が発行している、縁起略史によると
日本書紀によれば、今から約1800年前に、神功皇后が凱旋したときに山城の国深草の里藤森にいくさ旗≠樹て兵具を納め塚を作り神として祀ったとあり、これをもって神社の発祥としています。
祭神は、本殿に素戔嗚尊・日本武尊・応神天皇・仁徳天皇・神功皇后・武内宿禰・別雷命の7柱東殿に2柱、西殿に3柱の12柱です。

又、梅原猛が京都発見で述べていることだが、神社の伝承として、弘法大師が藤森の社に、「稲荷の神を祀るので、土地を貸して欲しい」とやって来た。
藤森では、「まあ、藁一束分位ならいいでしょう」と応えた。すると大師は藁一束をほどいて、一本一本を繋いで、稲荷の山と里を全部囲んでしまった。それから大師は、「期限は十年」と書かれた証文に向かって、「えいっ」といった。すると証文の文字は「千年」になっていた。点が一つ、知らぬ間に増えた訳である。祭礼の日に、神輿を担いだ藤森の氏子が、稲荷神社に行って、「土地返せ」と言うと、稲荷の方では、「後三年、待ってくれ」とか言うというのである。これは藤森神社と伏見稲荷との永い間の領地争いを語るものであろう。

要するに、現在でも伏見の住民は藤森神社の氏子で有るように、平安遷都以前から伏見に在った藤森神社を嵯峨帝のころ、国家権力を背景に藤森の土地を取り上げたのであろう。

末社でも重文というところがすごい。

神功皇后御旗塚。
本殿東方の石垣で囲まれた高壇に巨樹の切り株に注連縄が巻かれている

末社・大将軍神社
「大将軍」とは、陰陽道でいう方位の吉凶を司る八神の一である。
大歳神 : 歳星(木星)
大将軍 : 太白星(金星)
大陰神 : 大歳神の妃、鎮星(土星)
歳刑神 : 辰星(水星)
歳破神 : 大陰神とおなじ土星
歳殺神 : 大将軍と同じ金星
黄幡神 : 羅ごう星
豹尾神: 計都星(彗星)
要するに、牛頭天王と婆利女との間に生まれた八王子が八将神となった。桓武天皇は平安域の四方に将軍塚を築き、王城の鎮護とされた。ただし、その後ずいぶん移動したらしく、四つの特定は困難らしい。

末社・八幡宮

伏見稲荷に広大な社地を取り上げられたとはいえ、まだまだ相当広い境内を持つ。観光神社ではないので氏子の方達が新年の初詣に来るだけで、落ち着いた雰囲気の良い神社です。

神門

巨大な、裏日本に多い尻上がり狛犬。性別も有った。

拝殿

本殿

拝殿唐破風と変った注連縄

拝殿内部から本殿を臨む