常照皇寺

北桑田郡京北町井戸(平成16年1月3日)

南北朝期の北朝初代上皇光厳院が西紀1362年頃開創、臨済宗京都嵯峨天竜寺派に属する禅寺

光厳天皇は北条氏に押されて皇太子になったが、後醍醐天皇はこの相続をきらい、三種の神器をもって京都を脱出し、後に太平記に書かれる、南北朝の乱が始った。その後光厳天皇は京都で即位するが、建武の中興の成立により退位させられた。がその中興もまもなく瓦解し、御所に戻りやがて上皇になった。が再び20年後南朝が勝ち上皇は没落する。河内や大和を転々としたらしい。まことに忙しい。程なく南朝が衰微し上皇は京にもどった。が浮き世に嫌気がさしたのであろう、晩年はここ常照皇寺に入って無範和尚と名乗りこの寺で亡くなり、寺の裏山に葬られた。山国稜というらしい。
我々は知らずに行ったのだが、桜の名所らしい。是非桜の咲く頃に再訪したい。