鍬山神社

亀岡市上矢田町岩田22 (平成31年4月6日)

東経135度34分48.38秒、北緯34度59分34.66秒に鎮座。

この神社は、亀岡市役所の南2km程の辺り、岩田の街外れに鎮座しております。

御祭神 大己貴命

由緒
当社は、和銅2年(709)に創祀されたと伝えられる古いお社で、鍬山大明神または矢田社とも呼ばれていました。平安時代に著された延喜式神名帳にも丹波国桑田郡19座の一つとして記載されています。
社伝等によると、亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命(大国主命)が 黒柄山に8人の神様を集め一艘の樫船に乗り一把の鍬で浮田(請田)の峡を切り開き、肥沃な農地にされたと伝えます。里人はこの神徳を称え天岡山の麓にお祀りしたのが始まりで、名前も開削に使った鍬が山積みになったことから鍬山大明神と呼ばれました。
また、鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社は、永万元年(1165)に誉田神が降臨され、以後祀られることとなりましたが、両宮の社殿が現在地に建立されたのは慶長15年(1610)亀山城主岡部長盛の時です。
なお、当社で行われていた神事芸能の一つに、現在の能楽の源流の一つともなっている丹波猿楽があり、平安京はもとより摂津・河内など各地に出向いて活躍していましたが、天正4年(1576)明智光秀の丹波進攻の混乱により悉く廃れたと言われています。
その後、歴代亀山城主が神領等を寄進するなど保護に努め、徐々に祭礼が復興しました。10月24・25の秋の例祭は、11基の山鉾が出て祇園囃子を奏で、口丹波の祇園祭としても親しまれています。この山鉾行事も藩主と町衆が一体となって守り伝えてきたものです。
境内由緒書き より。

一の鳥居

二の鳥居

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治42年(1909)1月吉日建立)

拝殿

本殿。右手は八幡宮

本殿前の浪速狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿


八幡宮

八幡宮前の浪速狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿


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