小幡(おばた)神社

亀岡市曽我部町穴太宮垣内1 (平成31年4月6日)

東経135度32分59.13秒、北緯35度00分17.17秒に鎮座。

この神社は、京都縦貫道・亀岡ICの西北西1.5km程の辺り、曽我部町穴太の街外れに鎮座しております。

御祭神 開化天皇・彦坐王・小俣王

由緒
当社は、崇神天皇の命により派遣された四道将軍のひとり、丹波地域を治めた丹波道主命が、皇祖開化天皇を主神として祀ったことに始まるといわれ、開化天皇の御子の彦坐王と、その御子小俣王の三代を奉斎しています。
また社伝等によると、和銅元年(708)に丹波国司大神朝臣狛麻呂が霊域に社殿を建立され、延長5年(927)に編纂された『延喜式』「神名帳」にも記載された古社です。
社殿の棟札によると、文和元年(1442)には管領細川政元の本殿造営とその後明応元年(1492)を始めとする修造、屋根の葺替えが行われています。現在の社殿は天和3年(1683)に造立された一間社流造、檜皮葺の建物です。亀岡市内で妻に二重虹梁大瓶束を用いた早い事例であり、京都府の登録文化財となっています。また、社宝として全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが保存されています。
境内由緒書き より。

参道入口

鳥居

拝殿

本殿正面

本殿


稲荷神社

末社

社日