走田(はせだ)神社

亀岡市余部町走田1 (平成31年4月6日)

東経135度33分35.53秒、北緯35度00分19.84秒に鎮座。

この神社は、亀岡市役所の西南西1.7km程の辺り、余部町の街外れに鎮座しております。

御祭神 彦火火出見尊・豊玉姫尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊

由緒
走田神社は社伝等によると和銅4年(711)に創祀されたといわれます。また、平安時代の書物である「延喜式」の「神名帳」に記載されている丹波国桑田郡19座の内の1社です。祭神は彦火火出見尊、豊玉姫尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の3柱をお祀りしています。この彦火火出見尊は神話「海幸彦・山幸彦」に登場する山幸彦にあたります。豊玉姫尊は、山幸彦が海幸彦の釣針を探しに行かれた龍宮に住む海神の娘で、彦火火出見尊の妃となった方です。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、この2神の御子です。
社伝等によると、昔、社殿に掛けられていた絵馬から馬が毎夜抜け出て草を食べ歩き、やがてその蹄の跡が窪地となり川となったといわれます。この川は増水の時でも川音を立てないことから「不鳴川」とも呼ばれます。この川は、干ばつの時でも枯れることがなく、近隣の田畑を潤しました。また、この川の改修や浚渫(泥さらえ)等をするときは、故事にしたがってその日には馬の好物である青豆を供え祈願する風習が今も続いています。また、境内の中に、「垂乳味池」と呼ばれる清水があり、次のような話が伝わっています。豊玉姫尊が葺不合尊を出産した後、御子を波瀲に残し龍宮に帰ってしまいました。そこで、残された葺不合尊は豊玉姫尊の妹である玉依姫により養育されることになりました。玉依姫は、この清水の水で粥を作り乳の変わりとしました。これより「垂乳味池」と呼ばれるようになりました。後に、この清水は、乳の出の悪い婦人がこの清水で作った粥を食べると、乳がたくさん出るようになったといわれています。
境内由緒書き より。

参道入口

鳥居

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正4年(1915)秋建立)

参道

神門

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(弘化3年(1846)丙午9月15日建立)

本殿


大国主社 経津主社

弁財天社

倒木跡にチェンソーで彫られた馬