八代神社

八代市妙見町405(平成24年4月5日)

東経130度38分36.16秒、北緯32度29分47.56秒に鎮座。

 この神社は九州自動車道・八代JCの南西約750mに鎮座しています。
 道路から真っ白な鳥居と楠の大樹が見え、玉垣の外に手水舎が建立されています。社地に入るとすぐ左右に門守社が祀られ、正面に県重要文化財指定・四脚門の神門と回廊が綺麗な彩色が施された姿を見せています。回廊前には「妙見由来」亀蛇碑と脚に六地蔵を刻んだ六地蔵幢、さざれ石などが置かれています。神門のすぐ後には県重要文化財指定・入母屋造り妻入りの拝殿と透かし塀内に県重要文化財指定・千鳥破風付き入母屋造り平入りの豪華な本殿が建立されており、本殿の彫刻には目を見張らせるものがあります。又、拝殿左右に二対、弊殿と本殿の間に一対の狛犬が居り、特に本殿前の狛犬は心惹かれる造りをしています。
 この社にはご神木としてかりんの大樹が有るのですが、丁度花盛り。生まれて初めてカリンの花見をさせて戴き大感謝。入口の楠の大樹の他にも境内には楠の大樹が数本あり、この社の歴史の検証樹として、この先もずっと見守り続けて欲しいと願っています。
 妙見祭は九州三大祭りの一つだそうですが、平常時の参拝もお奨めできる素晴らしい神社でした。

 御祭神:天之御中主神、国常立尊
 祭礼日:1月3日・御田植祭、元始祭、2月11日・建国記念祭、旧暦3月7日・大宮神社例祭、旧暦3月18日・中宮祭、5月31日・氷室祭、6月1日・氷室祭、7月17日・十七夜祭 大祓式、8月・旧暦七夕、9月22日・作神社例祭、妙見祭 (11月1日・注連卸し、11月11日・飾り馬揃い、11月15日・大祭一日祭、11月16日・大祭二日祭、11月17日・献幣式、11月18日・中宮祭、11月21日・宮遷し、11月22日・お下り、11月23日・お上り、11月24日・報賽祭)、12月1日・注連納め、神馬抽選会、大麻頒布式、毎月1日15日・月次祭
 境内社:大宮社、稲荷大明神、門守社他
 由緒:八代神社は明治4年(1871)まで妙見宮と呼ばれ、文治2年(1186)に検校散位大江朝臣高房がこの地に創建したと伝えられています。祭神は北極星と北斗七星を神格化した天之御中主神と国常立尊です。
 南北朝時代から戦国時代の混乱期を過ぎ、加藤氏による八代城完成と同年の元和8年(1622)に社殿が、また、寛永13年(1636)には細川三斎公によって神輿と神輿屋、脇殿、拝殿などが再興されました。その後も元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に、城主松井氏によって修復がなされ現在に至っています。
 社殿は、屋根は入母屋造り、正面に 千鳥破風があり、数多くの緻密な彫刻が随所に施され、江戸時代中期から後期の社寺建築の特徴がよく表わされています。
 11月22・23日の秋季例大祭である妙見祭は九州を代表する都市例祭で、「八代妙見祭の神幸行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
(境内案内より)

 八代神社は、熊本県八代市妙見町にある神社である。通称・妙見宮、妙見さん。旧社格は県社。上宮、中宮、下宮の三宮からなるが、現在は下宮が本宮である。福島の相馬妙見、大阪の能勢妙見と並んで、日本三大妙見の一つといわれる。
 795年(延暦14年)、横岳頂上に上宮を創祀。1160年(永暦元年)、中宮を建立。1186年(文治2年)に、後鳥羽天皇の勅願で、検校散位大江朝臣隆房により下宮が創建された。
 1870年(明治3年)までは妙見宮と呼ばれた。妙見神とは、北極星・北斗七星の象徴である。神道と仏教の両部の宮寺で、広く崇敬を受け、八代、下益城、芦北三郡の一の宮として栄えた。1871年(明治4年)、神仏分離令により、天之御中主神、国常立尊を祭神とし、社名を八代神社と改められ、県社となった。
 11月22日、23日の妙見祭は、九州三大祭りの一つで「八代妙見祭の御幸行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 八代神社は、元々は『妙見宮』と呼ばれていたが、1868年(明治元年)の神仏分離令によって『八代神社』と改称され、日本國の天之御中主神と國常立尊を祀る神社となった。
 日本國の神となった天之御中主神は、日本の神話に登場する最初の神様で、天の中心的存在の祖先神。
 また、國常立尊は、天と地が分かれて國土を形成し、國土を守る神様。

 妙見神の伝来には、中國伝来説と百済王帰化説がある。
 中國説では、681年に中國の明州(寧波)から八代の竹原の港に着岸された。
 百済王説では、百済国王の斎明と、第3皇子の琳聖太子が帰化された。となっている。2つの説とも、この八代の地に3年間仮座の後、約30km離れた下益城郡豊野村に移られ、約90年の月日を経て771年に再び八代の地に移られたとなっている。
 上宮・中宮・下宮の創建の時は、政権の交代の後であり、國家の安泰を願った。上宮は平安遷都の翌年。中宮は平治の乱の翌年。下宮は平氏滅亡の翌年。
 妙見宮の神は、北辰・北斗七星の神格または仏格であった。北辰は北極星で、北斗七星は北極星をまわり、陰と陽を分ち四時(四季・朝昼暮夜)を定めるものとして道教の影響をうけて、天台宗・真言宗の教理に融合したものと言われている。
・年譜
681年 妙見神は中國大陸または朝鮮半島から来られた。3年間、八代に仮座。
684年 下益城郡豊野村に移動。後、90年間仮座。
771年 八代の横嶽に移られる。
795年 第50代桓武天皇の勅願によって上宮が創建された。(※勅願とは天皇の直接の願いの事。)
1160年 第78代二條天皇の勅願によって中宮が創建された。
1186年 第82代後鳥羽天皇の勅願によって外宮が創建された。
1588年 キリシタン大名の小西行長により神社・仏閣の破却。
1600年 八代は肥後の大名・加藤清正の領土となる。
1611年 加藤清正が肥後藩の領主になって妙見宮と祭礼の再興が始まった。八代城代・加藤正方も復興に努める。
1632年 加藤家の後、細川家が八代を治める。この時代からお祭りが盛んになった。
1635年 細川三斎(忠興)が祭礼に用いる神輿を寄進する。細川家の直祭り。
1646年 松井興長が八代城代となり、細川家の請け祭りとして継続した。
1868年 神仏分離令によって、神社内の仏教的要素や寺院内の神道的要素が取り除かれた。約1000年続いた神仏混淆が終わった。
1993年 神幸行列が11月22日、23日に変わる。
1995年 中宮の再建。
1998年 363年ぶりに神輿の新造。
(「熊本県神道青年会 創立60周年記念事業実行委員会・神社マップweb版」より)

 

社頭
入口に立つ明神鳥居 社号標
手水舎
参道の様子と神門と回廊
              「妙見由来」碑
妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。
妙見神の来朝
 天武天皇、白鳳9年(680)、妙見神は、神変をもって、目深・手長 ・足早の三神に変し、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津 より「亀蛇」(玄武)に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に 来朝せり。
妙見宮(上宮)の創建
 桓武天皇、延暦14年(795)、乙亥、国司桧前中納言政丸、三室山横嶽にこれを創建す。
妙見中宮寺の創建
 二条天皇、永暦元年(1160)、庚辰3月18日、従五位肥後守 平貞能、横嶽の麓に建立す。
妙見宮(下宮)の創建
 後鳥羽天皇、文治2年(1186)、丙午11月18日、検校散位 大江高房、妙見上宮を太田郷宮地の地に遷座しめる。
亀蛇碑上部彫刻
 「妙見由来」碑を背負う亀蛇
脚に六地蔵を刻んだ六地蔵幢
県重要文化財指定・四脚門の神門
県重要文化財指定・入母屋造り妻入りの拝殿
拝殿内の様子
拝殿脇にいる昭和15年生まれの狛犬
(昭和15年(1940)建立)
拝殿脇にいる昭和35年生まれの狛犬
太くきりっと上がった眉毛が凛々しく、頼もしい風貌の狛犬です。阿は口中に玉を含み、ライオンの様に顔の周囲にたなびく鬣に、力強さが込められています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和35年(1960)12月18日建立)
透かし塀と県重要文化財指定・千鳥破風付き入母屋造り平入りの豪華な本殿 左右から
本殿木鼻・狛犬と象
本殿彫刻類の拡大写真はこちらで
弊殿と本殿の間にいるとても変わった狛犬
縦置きで、前方から見ると、スリランカで見た「オオトカゲ」を思い出してしまいました。頑丈そうな前脚で上体を持ち上げて踏ん張り、長く寸胴な体躯を蛙の様な後ろ脚では支えきれず、引きずっている様な感じでお尻を落としています。鬣は背の中心部まで左右に綺麗に流し、細い尾は背中で三方に別れています。台座には「昭和11年建立」と記されていますが、私達は是は台座だけの建立年か、復刻の狛犬なのではないかと想像しています。何れにせよ、とても変わった狛犬で、こういう狛犬を見つけるとワクワクして、又もや旅に出たくなってしまいます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和11年(1936)11月18日建立)

境内社:門守社 境内社:門守社
境内社:大宮社
境内社:稲荷大明神
宝物庫? 石祠

推定樹齢600年以上、市指定天然記念物のご神木・大楠
ご神木・大楠
ご神木・大楠
ご神木・かりん

八代妙見祭の由来とポスター


八代妙見祭は九州三大祭の一つとして、神輿・神馬・獅子舞・花奴・笠鉾・亀蛇・飾馬などの神幸行列があり、人出も10万人を超える賑やかさです。 祭礼日はお下り11月22日、お上り11月23日です。
神幸行列で使用される亀蛇
 
神幸行列で使用される木馬
 
神幸行列の先導役・獅子
 
神幸行列で使用される火王・水王・風王面