竹原神社

八代市竹原町2223(平成24年4月5日)

東経130度37分36.47秒、北緯32度30分31.01秒に鎮座。

 この神社は八代駅の北北東約900m、鹿児島本線の線路南すぐに鎮座しています。
 道路に面して並んだ玉垣の中央辺りに「竹原宮」と記された額が掛かる鳥居が建立され、右手には大楠が聳えています。境内に入るとすぐbひだりに手水舎、左右に末社が祀られており、右手に歯土俵が設えられています。参道脇の狛犬に睨まれながら拝殿前に進むと、社殿左手には末社が二社祀られ、きちんと阿吽に別れた仁王像も立っています。拝殿奥には塀内に弊殿・本殿が建立されています。
 10月19日の祭礼時には、子どもの成長と無病息災を願い「稚児土俵入り」が執り行われ、乳幼児らが化粧まわしに紅白の鉢巻き姿で参加するのだそうです。さぞや可愛いんでしょうね〜。

 御祭神:天之御中主尊
 祭礼日:10月19日
 境内社:4社
 由緒:この地は、妙見神が渡来した竹原の津跡と考えられています。
 「肥後国誌」などによると、天武帝白鳳9年(680)の秋、中国明州(寧波)から妙見神が眼深検校・手長次郎・足早三郎の三人に姿を変え、亀蛇の背に乗って海を渡り、この八代郡土北郷八千把村竹原ノ津に上陸し、約3年間仮座したと伝えています。その後、同11年(682)益城郡小熊野村の千代松が峯に移って鎮座し、さらに天平宝字2年(758)に八代郡土北郷横嶽ノ峯に移り、その地に妙見上宮が創建されました。
 その由来により、この地に妙見神を奉り、竹原妙見宮と呼ばれました。文治2年(1186年)、後鳥羽天皇の時代に現在の宮地妙見宮が建てられたのに続いて、竹原妙見宮が建てられたと伝えられています。天正16年、小西行長の兵火にかかり焼失。後、加藤清正によって再建されました。そして、明治元年(1868)に神仏分離令が出されたため、明治4年(1871)に竹原妙見宮から竹原宮(現在の竹原神社)となりました。
(「境内案内・妙見神渡来の地 竹原の津跡」と「熊本県庁HP」より)

社頭
入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額「竹原宮」
境内の様子
参道の様子
参道脇、昭和2年生まれの狛犬
短い前脚とスリムな身体、細かい歯列、長く沢山付けられた鼻鬚の所為で鼻の下が長く見える、熊本型の狛犬です。鬣や脇毛、臑毛も立派です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和2年(1927)1月1日建立)
千鳥破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
三間社流造の本殿
拝殿と本殿の間にいる大正15年生まれの狛犬
前からの姿は見られませんが、丁寧な良い造りの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正15年(1926)7月吉日建立)

参道脇、向かって左側の末社 参道脇、向かって右側の末社
本殿脇の末社全景
本殿脇の末社前にいる石像の仁王様
本殿脇の末社石祠
拝殿脇の末社石祠と中に置かれている恵比須、大黒像
土俵
ご神木・大楠
樹高・15.5m、幹周・4.7m
拝殿前から入口を振り返る