鹿嶋神社

八代郡氷川町鹿島773 (平成24年4月5日)

東経130度39分59.99秒、北緯32度34分45.94秒に鎮座。

 この神社は竜北西部小学校のすぐ北に隣接して鎮座しています。
 入口には「鹿嶋宮」の額が掛かった鳥居が建立され、境内に入ると左には手水舎・土俵が配され、参道左右に社名が分からない境内社が二社祀られています。中央奥には唐破風付き入母屋造りの拝殿の前に建立年代不明の面白狛犬がおり、その後に続けて流造の本殿が建立されています。又、境内には御本社に因んで要石が置かれ、縁結び・良縁祈願に御利益のありそうな夫婦楠が勢いよく聳えています。

 御祭神:武甕槌大神、経津主大神
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、鹿島神社春季大祭・4月15日、還暦祭・4月15日、立願祭・7月、鹿島神社秋季大祭・10月15日、七五三子供大祭・11月15日、大祓祭・12月31日、水天宮大祭・2月15日、天満宮大祭・2月25日、海神社大祭・3月21日
 境内社:水天宮、天満宮、海神社
 由緒:後白河天皇の御世、外敵の侵入を防ぐために、茨城県の鹿島から奈良県の春日に分霊が行われた。その後福岡県の志賀島、佐賀県の鹿島、そして熊本県のここ鹿島に御霊をお祀りすることとなった。その時肥後守平朝臣貞能、尾崎左近衛督藤原朝臣兼倶が天皇の命により鹿島村の海辺の地、一町田を選んで社を建立し、保元2年(1157)11月15日に落成した。社田六百歩が寄付され、息左衛門尉兼雄に守護させたという。
 その後天正年間、小西行長によって社殿を焼失されたが、慶長の初めに加藤清正公に願い出て、慶長15年(1610)10月に再建することが出来た。文政元年(1818)8月15日に社殿改修、天保14年(1843)11月20日、弊殿と拝殿が再建された。


社頭
神社入口
入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額「鹿嶋宮」
参道・境内の様子
拝殿前、建立年代不明の狛犬
この狛犬達は珍しく拝殿の方を向いて座っています。阿吽の位置はあっていますから、もしかしたら本来は縦置きなのかも知れません。二重円のまん丸目玉、丸い立ち耳、顔の中央に盛り上がった鼻梁等から、子熊のように見えます。又、殆ど垂直に立つ前肢と水平に伸びる後肢、背に張り付いた尾等から、かなり古い時代の生まれのようにも思われます。可愛くて変わり種…こういう狛犬を見つけることが「狛犬道」に填ってしまう由縁なんでしょうね〜。
狛犬の拡大写真はこちらで
唐破風付き入母屋造りの拝殿
流造の本殿

境内社 境内社
土俵
社務所
要石
ご神木・夫婦楠
裏参道入口