薄野一目(うすのひとつめ)神社

山鹿市久原字薄野(平成24年4月6日)

東経130度43分23.07秒、北緯33度02分18.12秒に鎮座。

 この神社は、山鹿市街地から197号線で約3.5km程北上していくと、右手に鳥居が立ち「ほたるの里」という案内がある所が参道の入口です。
 参道はそこから約350m程桜並木の中を水を湛えた旧池や長閑な田園風景を見ながら北西に進み、道路が右にカーブした正面に二の鳥居が建立され、神社が鎮座しています。
 二の鳥居に掛かる額には「一目大明神」と記され、随神門を潜ると境内に入ります。参道左右に手水舎があり、大正9年生まれの狛犬に護られ、入母屋造りの開放的な拝殿と透かし塀内に本殿が建立されています。
 社殿周囲には境内社や石祠が多く祀られ、境内裏には神秘的な雰囲気を湛えた名勝地「世止命の池」があります。
 神社の鎮座地は、自然環境が豊かな素晴らしい立地条件で、往古旧三玉村蒲生の不動岩と旧三岳村彦岳権現が首引きをしたという伝承が残っているのも頷ける地で、熊本県内屈指の古社は、凜とした空気とのどかで優しい感じが混じった素敵な~社でした。

 御祭神:天目一箇神
 祭礼日:不明
 境内社:天満宮、稲荷神社、木幡神社、熊野座神社、八坂神社他
 由緒:本社薄野神社は天目一箇神を祭り一般に一ツ目神社と称する  肥後国誌に記載されている社殿裏の世止命の池の水生植物群落  春の桜 秋の紅葉など県北の名勝として広く知られている
 今から約千五百年の昔 繼体天皇の四年(五一〇)十一月 高天山の神主若山連の後裔吉田氏が斎き祀ったといい県内屈指の古社である
 現在の神殿は焼失後 元禄六年(一六九三)二月建立したが再び炎上 安永八年(一七七九)再建 拝殿は天明三年(一七八三) 十月 楼門は寛延四年(一七五一)の建立である。
 もと旧三玉村の村社であったが昭和二十一年六月宗教法人となった  境内神社として八坂神社(祭神素盞嗚命)熊野座神社(伊弉冊命) 木幡神社(天忍穂耳命)稲荷神社(倉稲魂命)天満宮(菅原道真)を 祀る 昭和二十七年新法人切り替えによって久原の本今田  永田 本霊仙に奉祀する菅原神社三社および催合の天神社を飛地境内神社とした 祭神はいづれも菅原道真公である
 伝承によると 往古旧三玉村蒲生の不動岩と旧三岳村彦岳権現が首引きをした時 この地にあってわが子の首引を案じていた母神の目に首引きの大綱の端が当たり一眼をうしなわれたので その母神を祀って 一ツ目神社と称するようになったという
 また民俗学上では天目一箇神は古代における鍛冶集団の祀るところであるともいう
 本社を有名にしたのは 寛政のころ(十八世紀)伊勢松坂の 本居宣長の門に学び 肥後の国に初めて国学を導入した社司帆足長秋である
 彼が書写した古事記伝は高く評価され県重要文化財に指定されている また彼が描いた神社絵図も今に遺り荘厳な本社の往時を語っている
 平成三年九月の第十九号台風のため拝殿は倒壊し神殿 楼門 境内社等も多大な被害を受けたので氏子相謀り拝殿並びに篭堂を新築し神殿 楼門 境内社を修復し平成五年四月三日盛大な落成式を挙行した

197号線脇の参道入口
参道入口に立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
桜並木の参道
参道東に見える水を湛えた旧池
桜並木越しに見える社頭
神社入口
神社入口に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「一目大明神」
随神門
門内にいらっしゃる随神さん
境内の様子
参道の様子
拝殿前、大正9年生まれの狛犬
やや立ち耳で、吽は子狛を抱きしめた、若夫婦のように溌剌とした狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正9年(1920)3月吉日建立)
入母屋造りの開放的な拝殿
拝殿内の様子
本殿
本殿木鼻・変わった意匠の狛犬と麒麟?

境内社:天満宮、稲荷神社、木幡神社
境内社:熊野座神社
境内社:八坂神社
社名不明の石祠 猿田彦大神
猿田彦大神 石碑
境内後方の世止命の池