大宮神社
山鹿市山鹿196 (平成24年4月6日)
東経130度41分50.72秒、北緯33度0分30.75秒に鎮座。
この神社は山鹿中学校の南西約200mに鎮座しています。
入口に明神鳥居が立ち、石段を上がると左右に弘化3年生まれの構え獅子、正面に随神門が建立されています。随神門内には随神さんとともに、まるで「翼狛」とでも呼びたくなるような変わった造りをした木製狛犬がいました。
境内に入ると、正面に入母屋造りの拝殿、透かし塀内に流造の本殿が建立され、本殿左右や裏側には九州一を誇る猿田彦大神石碑や多数の境内社が祀られています。
又、この社には「景行天皇が菊池川を下流よりさかのぼられた折、一面に濃霧が立ちこめ進路を阻んだので、里人がたいまつをかかげて御一行をお迎えし、天皇はここに行宮(仮の御所)を営ませられ、その時の奉迎のたいまつの火が起源」と伝えられている、全国的にも有名な「山鹿燈籠」を展示する燈籠殿が、境内左手に建立されています。
山鹿を代表する大神社のようですが、地域の方々の厚い崇敬神が伝わる、見所満載の素敵な神社でした。
御祭神:第十二代景行天皇、合殿:阿蘇十二神
祭礼日:8月16日・例祭(燈籠祭)、11月15日・秋季大祭(七五三祭)
境内社:西宮・八坂神社(祇園社)・八幡宮、甲斐神社、猿田彦大神、金刀比羅宮、管原神社、生目神社、宮地嶽神社、出雲宮、高住神社、地主神社
由緒:第12代景行天皇が筑紫御巡幸の折、玉名から阿蘇へ向わせられた途中山鹿にお着きになり杉山(現社地)に行宮を営ませられ附近の賊を御平定になられたという。その後行宮の跡地に天皇を奉祀したのがこの大宮神社である。大宮と称するのもこれに由来している。
第71代後三条天皇の延久4年11月15日菊池則隆公が阿蘇十二神を勧請し山鹿中村の田地36町歩を寄進した。毎年初卯の日から17日間山鹿南島の卯の日河原で祭典があり神幸式には菊池氏が奉幣の使を立てて供奉させまた流鏑馬等も行われていたが天正年間より戦乱のため廃絶した。
天文6年天災のため焼失。永禄12年山鹿城主山鹿彦次郎重安が再建。明暦3年野火のため焼失。万治2年細川綱利公が再建。宝暦5年大風のため倒壊。同6年細川重賢公が再建。
昭和18年5月7日 県社に昇格。
「大宮神社公式サイト」はこちら
社頭 |
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神社入口に立つ明神鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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石段参道 |
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石段参道脇にいる弘化3年生まれの構え獅子
阿は口中に玉を含み、吽は左前脚で宝珠を踏んでいます。厳しく整った顔立ちと、身体の線が綺麗な、丁寧な造りをした狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(弘化3年(1846)丙午正月吉祥日建立) |
随神門 |
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随神門内にいる木製狛犬
大きな角を生やし、小顔で、上半身が発達した、逞しさを感じさせる狛犬です。前肢の付け根からは翼のような脇毛を覗かせた、まるで「翼狛」とでも呼びたくなるような変わった造りをしています。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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境内の様子 |
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参道の様子 |
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拝殿前の青銅製金燈籠 |
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拝殿 |
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神饌殿? |
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透かし塀と三間社流造の本殿 |
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神楽殿 |
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境内社:西宮・八坂神社・八幡宮 |
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「ぎおんさん」の無病息災の鳥居 |
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境内社:甲斐神社 |
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境内社:猿田彦大神 |
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境内社:金刀比羅宮 |
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境内社:管原神社 |
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境内社:生目神社 |
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境内社:宮地嶽神社 |
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境内社:出雲宮 |
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境内社:高住神社 |
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「月弓尊」は可愛いウサギさんが背負っています。 |
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社名不明の石祠 |
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猿田彦大神石碑
境内には49基の猿田彦大神の石碑が並び立っています。これらは主に江戸時代にこの地で流行した庚申信仰の産物で、最も古い享保18年(1733)から明治32年(1899)に祀られたものです。他地から移されたものものありますが、一カ所にこれだけの数が揃っているのは珍しく、その数は九州一です。(公式サイトより) |
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百度石? |
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ご神木・銀もくせい
秋に花が咲き、翌春小指の先位の緑色の実がなり、次第に濃い紫に変わります。
この実は子宝(子孫繁栄)、努力が実る合格祈願のお守りでもあります。(公式サイトより) |
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燈籠殿
8月16日の例祭燈籠祭の「上がり燈籠」において奉納された山鹿燈籠を全て保存展示してあります。また合わせて御神宝「三十六歌仙絵馬額」(実物大写真パネル)が見られます。 |
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座敷造り燈籠 |
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矢壺、鳥かご、古式金燈籠 |
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古式台燈 |
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館内の天井から吊り下がった燈籠 |
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御神宝「三十六歌仙絵馬額」(実物大写真パネル) |
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