御宇田(みうた)神宮

山鹿市鹿本町来民195(平成24年4月6日)

東経130度44分46.70秒、北緯33度00分22.62秒に鎮座。

 この神社はいこいの森公園内に鎮座しています。
 道路の突き当たりに一の鳥居が立ち、満開の桜を見上げつつ参道を進むと、石段参道の途中に狛犬と二の鳥居が建立されています。二の鳥居を潜り尚も石段を上がると、随神さんが護る随神門。境内中央奥に、唐破風付き入母屋造りの拝殿、板塀内に三間社流造の本殿が建立されています。又、境内州には石祠や石碑、境内社等が祀られています。
 晴天の明るい雰囲気の中、豊かな緑の中に桜の薄紅色が映え、とても気持ちの良い参拝が出来ました。

 御祭神:天照皇大神、豊受日賣大神、素盞男命、健磐龍命、阿蘇津日賣命
 祭礼日:10月19日
 境内社:伊勢神宮、英彦山神社、黒男神社、猿田彦大神、東原天満、天満宮、金毘羅社他
 由緒:御宇田神宮は、光孝帝(一書に第五十九代宇多天皇とある。)仁和2丙午年伊勢・熊野・八幡三社を勧請す。其後四條帝仁治元年阿蘇一宮を合祀し四座一殿として御宇田大明神と号す。或説に曰く。
 醍醐帝延長3年領主藤原光親卿天照大神・八幡・熊野 祇園・阿蘇を勧請して御宇田大明神と号すとある。神主森本但馬守藤原朝臣光秀従五位下に任ぜられ神職相勤め他に社人十二名付添い勧請の砌は、社領として田畑三百町歩寄付有之。
 祭日は9月19日(現10月19日)には、神楽を奏し能・流鏑馬・風流舞楽等中古迄は祭典行事等厳重殷賑を極めた。御宇田氏は後に菊池氏に属し御宇田上総介重直、同山城守直貞(一書に真貞)二人共永正2年菊池の臣八十四名連署に名あり。
 社領の儀は、その後加藤清正公の御代に、新に一石四升ご寄進相成り、寛永10年正月7日、肥後国主細川忠利公先規の通りご寄進相成り他に大幕、提灯等も神納有之。又同14年冬、国主忠利公有馬御出陣の折森本治部と申す者召し連れに相成り陣中において武運長久の祈祷を執行仕へ奉り、帰陣の後も、屡屡召し出され森本吉太夫と申す者迄は、毎年お花畑に罷り出で玉串差し上げ年頭のお禮申し上げて来たという。
 将又当社は郡中の祈祷所にて御宝祚の延長、天下泰平、風雨順時、護国豊饒、国家安全を祈願したという。

神社遠景
社頭
入口に立つ一の明神鳥居
桜並木の参道
二の鳥居前にいる大正13年生まれの狛犬
大きな垂れ耳、大きな目、耳元まで大きく割れた口蓋等熊本狛犬の特徴が良く現れています。ツンと突き出た鼻の先が可愛いですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正13年(1924)11月12日建立)
石段参道入口
石段参道途中に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額「御宇田社」
石段参道
随神門
門内にいらっしゃる随神さん
境内の様子
唐破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿前面の彫刻と「御宇田宮」の額
拝殿内の様子
三間社流造の本殿

境内社:伊勢神宮 境内社:英彦山神社
境内社:黒男神社 石祠
猿田彦大神
東原天満、天満宮、金毘羅社
石碑

満開の桜