豊福阿蘇神社

宇城市松橋町豊福503(平成24年4月5日)

東経130度42分9.25秒、北緯32度37分48.01秒に鎮座。

 この神社は豊福小学校南に鎮座しています。
 石垣と玉垣で囲まれた社地に南面して入口があり、境内入口に「阿蘇三宮」の額を掲げた台輪鳥居が建立されています。参道両脇には神殿を護る「弥五郎」さんと云う境内社が祀られ、境内両脇には見事な枝振りを見せる大きなご神木が聳えています。
 社殿は唐破風付き入母屋造りの拝殿と透かし塀内に精緻な彫刻が鏤められた三間社流造の本殿。
 静かで清々しく、悠久の時間を経た緑に癒される、素敵な神社でした。

 御祭神:阿蘇十二神
 祭礼日:大祭:10月15日、小祭:7月15日
 境内社:弥五郎
 由緒:趣意書:豊福阿蘇神社の由来につきましては、皆様ご承知のとおり後冷泉天皇の永承2年(1047)関白藤原頼通創建と伝えられ、964年の古い歴史を有する、松橋町で唯一の郷社として創立された由緒ある神社として松橋町史に記されています。
 由緒沿革:永承2年関白藤原頼通が建立し、阿蘇郡下田郷の下田吉包を以て神官となし、社領四町五反を寄進したが、天正年間豊臣秀吉が社領を没収したと云う。明治5年郷社に。

 古くは阿蘇三社大明神(国誌)・三宮大明神(一統志)といった。豊福の字構内にあり、そばを旧薩摩街道が通る。現在は木造・流造の神殿および拝殿・幣殿がある。旧郷社。「国誌」所収の由緒書によれば、永承2年(1047)関白藤原頼通の創建という。本来は八幡神を祀ったが、後に阿蘇氏の勢力が及び、阿蘇・甲佐の二社が合祀され、三宮とよばれた。「下益城郡誌」には祭神十三柱とし、八幡神以外に阿蘇十二神を列挙する。中世までの社領は四町三反であったと伝える。豊福・両仲間・本村・島・内田・竹崎・久具・浦川内を信仰圏とした。

社頭
神社入口
境内入口に立つ台輪鳥居
鳥居に掛かる額「阿蘇三宮」 社号標
境内の様子
参道の様子
拝殿前、昭和8年生まれの狛犬
横長の眼に長い牙がチャームポイントの狛犬です。スリムな身体ですらりと伸びた前脚、機敏で溌剌とした感じを与えています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和8年(1933)1月建立)
唐破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
三間社流造の本殿
本殿木鼻
本殿妻彫刻

境内社:「弥五郎」さん
境内社 三猿像
祭祀場?
絵馬
ご神木・大楠
推定樹齢・1100年、樹高・45m、幹周・18m
ご神木