春日神社

熊本市西区春日3-4-8(平成24年4月7日)

東経130度41分24.19秒、北緯32度47分21.9秒に鎮座。

 この神社は熊本駅の北約300mに鎮座しています。附近は再開発の真っ最中なのでしょうか?神社の入り口は裏側から回り込むような形で作られ、社地も造成間もない様な感じがします。
 拝殿正面の南側には入口は無く、北西側に鳥居が建立された入り口があり、坂を上がって境内に入ります。入口から見ると、社殿は横向きに建立され、右側に拝殿と繋がって「加茂公民館」が建てられています。その奥に境内社が祀られ、薬師如来堂も建立されています。

 御祭神:武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売命、大山昨命
 祭礼日:10月5日
 境内社:加茂大明神、猿田彦大神
 由緒:春日の地名の由来は、第27代安閑天皇(在位531〜535年)が皇后である春日山田皇女の名を後生に遺すために533年この地に春日部の屯倉を置いたことに由来するといいます。屯倉とは徴収した穀物を保管する倉庫のことです。
 春日神社は、延久5(1073)年、菊池氏初代藤原則隆が奈良の春日神社を勧請し創建したと伝えられいます。場所は今の所在地より東の岫雲院門前の広場になっている所だったといいます。祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売命、大山昨命で、祭日は11月15日です。五反の薬王寺、野口、松竹、角野、馬場方の5集落では、年番で祭りの受け前をし、各組で座祭りが行われました。以前は花岡山のハゼの実と境内のイチョウの実の収穫があり祭りの費用としていました。現在の境内は元は日吉神社の神苑でしたが、昭和16年に春日神社を合祀したものです。境内には「猿沢の水跡」があり、昭和の初めまでは蓮池として残っていましたが、戦後は道路敷となり消滅しました。
 境内には私立ゆたか幼稚園がありましが、廃園となり現在はこの建物が「加茂公民館」として地域住民の集会所となっています。
 また、境内には加茂大明神も合祀されています。肥後国誌には「社殿無之当村近辺畑中二大榎一株アリ樹下二石ヲ建ツ銘ニ云奉勧請加茂大明神トシテ年月ヲシルセス」とあります。この石祠は、国鉄熊本機関庫の付近にあったものを、鉄道敷設の際この境内に移したものです。石祠は明神造、石扉をつけたもので竜神男女二体と随神を祀っています。祭日は10月5日、以前は10人の総代が神官を招き、神楽があり、その後直会がありました。また昔は目や歯の神様として信仰され味噌を供えて祈願したといいます。
 更に、境内には猿田彦の石碑があります。明治時代大火があり、その後、火の神様として祀られるようになったといいます。また境内横には石地蔵を祀る祠があります。放牛の造った地蔵様や阿弥陀様など六体が安置されています。(調査:自然・文化調査ボランティア 末川博司)
(「熊本県地域振興部文化企画課 地域発 ふるさとの自然と文化」より)

社頭
参道入口
参道入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
境内の様子
拝殿前、大正5年生まれの狛犬
滑らかな体つきで、スマートな体躯をしています。耳を横に流し、賢そうな目でお互いを見つめ合っている様です。口蓋からちょっとだけ出ている牙がキュートです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正5年(1916)11月13日建立)
千鳥破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
流造の本殿
拝殿と繋がって建てられている「加茂公民館」

加茂大明神
猿田彦大明神・三宝大荒神
薬師如来堂

ご神木・銀杏 境内北東に咲く桜