日吉神社

熊本市南区十禅寺2-15-3(平成24年4月7日)

東経130度41分42.87秒、北緯32度46分29.72秒に鎮座。

 この神社は熊本駅の南南東約1.2km、白川の左岸近くに鎮座しています。
 社地は綺麗な玉垣で囲まれ、入り口には社号標と「山王大権現」と記された額が掛かる台輪鳥居。境内中央奥に昭和9年生まれの狛犬が護る千鳥破風付き入母屋造りの拝殿と、奥の透かし塀内に流造の本殿が建立されています。又境内には兒島神社等の境内社が点在し、この社の御神木にも夜泣貝が棲息しているようです。丁寧な祀り方がされた、気持ちの良い神社でした。

 主祭神:大山昨神、大己貴(大国主)神をはじめ日吉山王二十一社の神々、相殿神:国常立神、国狭槌尊、惶根尊、伊弉冉尊、天之忍穂耳尊、瓊々杵尊
 祭礼日:鬼火祭・1月7日、初午祭・2月、秋葉祭・4月8日、春の大祭・4月97日、夏越の大祓・7月21日、千燈明祭・8月31日、秋の大祭・10月9日
 境内社:兒島神社、厳島神社、山王稲荷神社、秋葉神社
 由緒:当社は、近衛天皇の仁平3年(1153)肥後の地方官として着任した石浦河内守経国が朝廷に願い出て、近江国(滋賀県)の比叡山の日吉大社の御分霊を勧請し、国家安泰・宝祚(天皇の御在位)延長の勅願所(天皇がご祈祷される所)として、また神蔵荘(十禅寺・平田・近見・高江・元三・西牟田・木部・画図・田迎・世安・本山・春竹・琴平などを含む716町5反の地)一円の鎮守として創建した由緒ある神社です。
 平安時代末の78代二條天皇、鎌倉時代の82代後鳥羽天皇、87代四条天皇、宝祚延長等の御祈願(勅願)がなされるなど、中世においては肥後国有数の神社として栄えました。
 その後、豊臣秀吉の時代に肥後の領主佐々成政の暴政により社殿等を焼かれ社領も没収され甚だしく衰微しますが、後の領主加藤清正公、細川家3代藩主綱利公により社殿も祭典も再興され、以後細川家歴代藩主の信仰も厚く、特に6代藩主重賢公の時には細川家の産土神と定められ、重賢公以降は細川家の家督相続、嫡子の安産、誕生等の度に御祈願の使者を遣わされるなど再び御社頭の繁栄を見ました。
 明治維新の版籍奉還・廃藩置県により藩政が終わり、旧藩主細川氏も東京へ移住され細川家の保護もなくなり、明治以降は、以前ほどの繁栄はなくなりましたが、氏子・崇敬者の厚い信仰に守られ今日に至っております。

神社遠景
社頭
入り口に立つ台輪鳥居
鳥居にかかる額「山王大権現」 社号標
境内の様子
拝殿前、昭和9年生まれの狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和9年(1934)4月8日建立)
千鳥破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
透かし塀と流造の本殿

境内社:兒島神社
境内社:厳島神社・山王稲荷神社
境内社:秋葉神社
神楽殿
御神木
御神木
絵馬
夜泣貝の写真は山鹿市菊鹿町・松尾神社に載せてあります。