笛田神社

熊本市南区御幸笛田4丁目19番43号(平成24年4月7日)

東経130度42分58.99秒、北緯32度45分24.17秒に鎮座。

 この神社は熊本東バイパス・57号線の南約600m、御幸小学校の北約600mに鎮座しています。
 住宅地の一角に鎮座する神社で、明るく清々しく、しっかりと鎮守の杜も残されています。神社入口に立つ台輪鳥居を潜り境内に入ると、正面スロープの脇に大正10年生まれの狛犬、奥に入母屋造りの拝殿、透かし塀内に弊殿と流造の本殿が建立されています。又、境内に入るとすぐ右に鳥居が立ち、境内社の石祠が祀られています。推定樹齢・約500年の大銀杏の芽吹きが淡い色彩で春らしく、とても綺麗でした。

 御祭神:神八井耳命
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月3日・元始祭、2月19日・春季例祭、4月1日・厄除け祈祷祭、6月1日・歳祝い参拝、6月30日・夏越の大祓い、8月始・夏祭り、9月15日・座祭り、10月19日・秋季例祭、11月15日・七五三詣、11月23日・新嘗祭、12月31日・年越大祓い、除夜祭
 境内社:一社
 由緒:欽明天皇のころ、笛田村の中園と言う所で笛を嗜みたもう神がありました。
「我はかむやまといわれひこのみこと神倭磐余彦命の第二皇子 、神八井耳命(阿蘇建磐龍命の父)なり、我を斎奉らば鎮護国家(国の安全と平和を守ること)、五穀豊穣、里人の厄難消除、無病息災、家内安全、子孫の繁栄を守護する」と言って携えていた笛を投げられると、その笛は北田に留まりました。 里人はその笛を御神体として神殿を造営し、笛田大明神としてお奉りしたのが創めと言われております。
 祭式は、旧暦9月19日、御幸所の中園まで御神幸がありました。
 当時は社司神楽人など十人以上が奉仕し、神事が厳かに行われておりました。神社前の馬場(地名が馬場中:現在の県道周囲)では流鏑馬の祭式もあり、御供田、流鏑馬田、鏡餅田、土器田なども持ち、近郷十数ヶ村の産土神として、人々の崇敬を受けていましたが、天正年間に肥後の国守となった佐々成政が神社領を没収しようとして神殿に放火したため、すべて焼失しましたが、その後、加藤清正候が肥後の国守と成り入国後、社殿を再興し、神八井耳命を主神に阿蘇の神々十二神をお祀りし、祭式も厳習に執り行われるようになり今日に至っています。
(「熊本県神道青年会 創立60周年記念事業実行委員会 神社マップweb版」より)

社頭
神社入口
台輪鳥居 鳥居に掛かる額
境内の様子
拝殿前、大正10年生まれの狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正10年(1921)4月吉日建立)
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
透かし塀内、弊殿と流造の本殿
長崎の平和祈念像を制作された北村西望の作・天女の笛像

境内社

推定樹齢・約500年の大銀杏
天正166年(1588)肥後の守となった加藤清正が、佐々成政により焼失した笛田神社を再興する時に植えられたものと伝えられています。