山崎菅原神社

熊本市中央区桜町1-18(平成24年4月7日)

東経130度42分20.96秒、北緯32度47分55.14秒に鎮座。

 この神社は熊本城公園の南、坪井川左岸に鎮座しています。入り口は28号線にあり、鳥居を潜ると駐車場。境内の入口には均整のとれた体つきの狛犬がおり、中央奥に入母屋造りの拝殿、流造の本殿が建立されています。又、境内には三城稲荷神社が祀られ、猿田彦大神碑等も点在しています。

 御祭神:菅原道眞公
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、元始祭・1月3日、昭和天皇祭遥拝式・1月7日、紀元祭・2月11日、祈年祭・2月17日、春季皇霊祭遥拝式・春分の日、神武天皇祭遥拝式・4月3日、春季大祭宵宮祭・4月24日、春季大祭・4月25日、昭和祭・4月29日、夏越大祓・6月30日、秋季皇霊祭遥拝式・秋分の日、神嘗祭遥拝式・10月17日、神嘗奉祝祭・10月17日、例祭宵宮祭・10月24日、例祭・10月25日、明治祭・11月3日、新嘗祭・11月23日、天長祭・12月23日、師走大祓・12月31日、除夜祭・12月31日、月次祭・毎月1日・15日
 境内社:三城稲荷神社
 由緒:当社が創建された年については諸説ありますが、一説には延久2年(1070)3月のある夜、菊池肥後守則隆公(菊池氏の初代)の霊夢に菅原道眞公が現れ、託宣によって筑前國太宰府安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)より肥後國詫磨郡白川のほとり南領森本(もりのもと)に勧請されたとあります。
 菅原山天満宮と号された当社は社殿を建立され、崇敬篤く奉斎されました。やがて山崎村近辺の田畑を寄進され、その地に遷座されました。江戸時代の地図には現在の鎮座地よりやや西(現在の桜橋南岸附近)に鎮座されていたことが記されています。また、地図には天神丁や山崎天神丁といった町名も記されています。
 当社は肥後熊本藩の初代藩主細川忠利公の尊崇も篤く、社頭の額並びに神前の松が寄進され、外塀も修復されました。安永8年(1779)には6代藩主細川重賢公により再興されました。また、幕末の国学者として知られる林櫻園は、1日も欠かすことなく当社を参拝していたと伝えられています。
 当社は明治に入り社号を菅原神社と称するようになりました。明治10年(1877)の西南戦争に際し、残念ながら社殿はことごとく焼失してしまいました。その後、熊本鎮台開設の際に境内地を収用され、明治12年(1879)に山崎新道に遷座されました。この頃より氏子崇敬者から山崎菅原神社又は山崎天神と称されるようになりました。更に明治25年(1892)には山崎町新市街に、大正4年(1915)には現在の鎮座地である天神町(現在の桜町の一部)に遷座されました。現在では学問の神様、山崎地区(現在の慶徳校区にほぼ相当する区域)の氏神様として、篤く崇敬されています。
 現在の社殿は明治43年(1910)に造営され、昭和16年(1941)に拝殿が増築されました。昭和20年(1945)の熊本大空襲では奇跡的に焼失を免れ、現在にその姿を残しています。

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社頭
入口に立つ明神鳥居
鳥居に掛かる額「天満宮」 社号標「山崎菅原神社」
参道の様子
社殿の建つ境内入り口
境内入り口にいる大正8年生まれの狛犬
肉厚の耳を横に長し、整った顔立ちと均整のとれた体形をした狛犬です。長い脇毛や臑毛を持ち、大きな獅子紋も残っています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正8年(1919)7月建立)
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
透かし塀と流造の本殿

境内社:三城稲荷神社
例祭・1月25日、初午祭・2月初午
往古大権現 猿田彦大神
神使い・牛 神使い・牛