手取天満宮
熊本市中央区上通町5-34(平成24年4月7日再訪)
東経130度42分54.55秒、北緯32度48分1.23秒に鎮座。
この神社は市電・水道町駅北に立つ一の鳥居を潜り約100m程北に進むと、道路突き当たりに神社入口があります。二の台輪鳥居を潜り境内に入ると右手に手水舎、左手に社務所が配され、正面に狛犬に護られた拝殿、本殿が建立されています。町中に鎮座する神社で、社地はそんなに広くはありませんが、とても綺麗に保たれた、気持ちの良い参拝が出来る神社です。
御祭神:菅原道真公
祭礼日:1月1日・歳旦祭 、1月3日・元始祭 、1月25日・初天神、2月11日・紀元節祭、4月24日・春季大祭前日祭、4月25日・春季大祭御当日祭(うそかえ行事)、6月1日・厄除長寿祭、6月30日・夏越大祓(輪くぐり)、10月24日・例祭前日祭(秋祭)、10月25日・例祭献幣祭(うそかえ行事)、11月23日・新嘗祭 、12月23日・天長祭、12月25日・終り天神、12月31日・大祓・除夜祭、1日15日25日・月次祭
由緒:後光明天皇の御代 承応年間(西暦1650年頃)手取被分町の住人肥後藩士 平井勘右衛門正恒はかねてより天満宮を崇敬し、或る夜菅公が枕に立たれこの家の井戸にきていることを告げられ、翌朝邸内の井底より尺余の天神尊像を得て、一宇を創祀し鎮祭。宝永五年三月平井家大火に罹り焼亡の砌、神祠も延焼。近くの鎮護山長安寺境内の梅の樹より夜々光明を放つ徴があった。寺僧之を怪しみ梅の樹の下に至れば天神様の尊像厳然として出現された。僧かしこみて使いを出し、平井氏は年来の信徒等を率いて来たがその奇瑞を感じ、元の如く邸内に復祭を議れしが火災を遁れてこの地に来られし故に、この長安寺境内に鎮祭されることとなった。その後七十余年月を経て、安永七年七月二十八日再び大火が起こり寺塔悉く回禄となりしも神祠はこれを免れた。
明治の初め、神社区画改正の際、熊本五小区中の氏神社に定められ大正の御代に地方官より市内幣饌料供進の神社に指定された。昭和二十年七月一日の熊本大空襲では戦災にあうことなく、厳として残り奇しき由緒多く学業成就、厄除開運、鎮火の神として城東校区の氏子を始め多くの崇敬者に崇敬されている。
昭和初期までは毎年一月二十五日の初天神の祭典には菅公出現の井より若水がお供えされていた。
平成十四年十月二十五日菅公壱千百年大祭斎行。
境内に徳富蘇峰揮亳碑二基、汗かき地蔵堂あり。
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市電・水道町駅北に立つ一の鳥居 |
一の鳥居に掛かる額 |
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一般道と共用の参道の様子 |
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社頭 |
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神社入口に立つ二の台輪鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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境内の様子 |
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千鳥破風付き入母屋造りの拝殿 |
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拝殿内の様子 |
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弊殿と本殿 |
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社務所 |
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御神木 |
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御神木 |
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