小幡八幡宮

熊本市中央区子飼本町1-20(平成24年4月8日)

東経130度43分27.42秒、北緯32度48分32.7秒に鎮座。

 この神社は白川右岸の子飼本町に鎮座しています。
 入口は337号線に面しており、子飼本町バス停近くに松の緑が色濃く見えるのですぐに分かります。入口には「小幡宮」と記された額を掲げる鳥居が立ち、短い参道脇に、木々に隠れるようにして嘉永2年生まれの狛犬が待っていてくれます。境内入口に立つ燈籠の上にはやんちゃそうなサーカス狛犬がおり、境内左に拝殿・本殿が建立されています。又、宮地嶽社、金毘羅宮、天満宮、恵毘須宮等の境内社が点在しています。
 市街地の中に祀られる御社らしく、すっきりとコンパクトに纏まった感じがする神社でした。

 御祭神:八幡大神(誉田別命、比淘蜷_、息長帯姫命)
 祭礼日:4月25日、10月24日
 境内社:宮地嶽社、金毘羅宮、天満宮、恵毘須宮
 由緒:小旛八幡宮の起源は定かではありませんが、言い伝えでは和銅年間(8世紀)には社が立っていたといわれています。「肥後国誌」には、次のような縁起が記されています。「中国(唐)の皇帝の皇女が七歳の時に男子を生み、怪しまれて母子ともども海に流され、日本の薩摩(鹿児島県)に流れ着いた。人々は憐れみ養っていたところ、皇帝の迎えが来た。帰国するとき、皇女親子の石像を立てられたが、その後石像は割れ、そこから八本の白旗が飛び出てきた。その内の一本が当地に飛んできたので、その地に八幡宮が建立された…。」このような縁起をもつ神社ですが、戦国期に入ると兵火によって荒廃し、一帯は森のようになっていました。その後、細川忠利が藩主として熊本に入国した際、子飼付近に立派な森があることに感心し、村の庄屋にその由緒を尋ねました。以前そこに八幡宮があったことを知ると、同社の再興が命じられました。八幡宮は岩清水八幡宮や鶴岡八幡宮に代表されるように、武家、とりわけ源氏にとっては重要なものです。源氏の流れをくむ細川氏にとっても八幡宮を再興する事は非常に大切なものだったのではないでしょうか。忠利が感心した樹木は昭和三十年代まで樹齢五百年を越えるものが茂っていましたが、相次ぐ風水害によって残念ながら伐採されてしまいました。
 こうして再興された小旛八幡宮の氏子区域には子飼本町・子飼西町・妙体寺町などが含まれます。祭礼日は4月25日と10月24日で各町内の総代達が集まり行なわれていました。三十年ほど前までは道沿いに多く出店が立ち並び、奉納相撲が開催されるなど活気を呈していたようです。戦前は農家の人々が中心でしたが、境内に子飼商店街から恵比寿宮が移されたことなどによって商店街の人々にも多く親しまれています。ほかにも愛宕宮・金毘羅宮や個人宅から移された宮地嶽宮などもあります。
 小旛八幡宮の裏には白川が流れ、ちょうどそこで川が蛇行して淵を作っています。そこは八幡淵と呼ばれ、以前は済々黌高校の生徒が泳ぎに来ていたりしたそうです。
(「熊本県庁文化企画課 地域発 ふるさとの自然と文化」より)

社頭
入口に立つ鳥居 鳥居に掛かる額「小幡宮」
奥ゆかしくも植え込みの陰にいる、嘉永2年生まれの狛犬
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(嘉永2年(1849)建立)
境内入口と狛犬を乗せた明治21年建立の燈籠
明治21年生まれ、燈籠上のサーカス狛犬
小さいけれどやんちゃそうな、出来の良い狛犬達です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治21年(1888)10月建立)
境内の様子
妻入りの拝殿
拝殿内の様子
拝殿奥にいらっしゃる随神さん
拝殿奥、随神さんの下にいるにこやかな神殿狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
流造の本殿

境内社:宮地嶽社
境内社:金毘羅宮
境内社:天満宮
境内社:恵毘須宮